■石原裕次郎への慈愛
そんな闘争に満ちた石原氏の人生だが、一方で、弟の裕次郎さんとの“兄弟の絆”は、慈愛に満ちていた。
「石原さんは、裕次郎さんのことを常に気にかけていました。裕次郎さんを俳優としてデビューさせ、トップスターへの道筋をつけたのも石原さん。“我が道を行く”スタイルで、周囲の意見を聞かなかった裕次郎さんも、石原さんの言うことには素直に従ったといいます」(当時を知る芸能関係者)
●東京都知事選の応援演説に
51歳になった石原氏が都知事選に立候補した際は、裕次郎さんが連日、応援演説に駆けつけ、声をからしている。芸能レポーターの川内天子氏が振り返る。
「石原さんは、横浜(神奈川県)の総持寺で営まれる裕次郎さんの法要に、欠かさず出席していました。法要後の囲み取材でお話したのを覚えています」
石原氏はそこで、「後から始めたオレのほうがヨットの操縦がうまくなってさ……」などと、思い出話をしてくれたという。
「裕次郎さんの話をするときの石原さんは、本当に楽しそうでした」(前同)
政治部の記者が割って入り、政治の話題を質問し始めると決まって、「“おい、まだ話の途中だろ!”と一喝して、裕次郎さんの話を続けていましたね(笑)」(同)
幼稚園を脱走するなど、幼少期は“ワンパク坊主”だったという裕次郎さん。石原氏は、そんな弟を守り、誰よりも愛していた。
〈私は弟の生前も今も、よく自分の長男と弟をごく自然に混同して呼ぶことがある〉(『弟』、幻冬舎)
先に逝った弟のもとへ旅立った石原氏。また、一人、“昭和の男”が世を去った。