■『来年消えそうな芸人ランキング』でワンツーだった2人

 小島について狩野は「テレビ出始めが同じタイミングだった」こと、当時は「ナルシストなホスト」と「海パン芸人」だったため、

「お互いキャラクター(キャラ芸人)でやってたのもあって、『来年消えそうな芸人ランキング』みたいな、某雑誌でワンツーフィニッシュだった」

 と危機感を抱いていたことを回顧。

「このままじゃいけないな、みたいな感じで2人でトークライブを始めた」と現在まで10年以上続いているトークライブの誕生秘話を明かした。

 当時の2人は“トークをする芸人”のイメージではないことから「よう会場貸してくれたね?」と藤本は茶化していたが、実際に「お互いの事務所から大反対されました」と小島は返している。

「また、順番が前後しますが、番組の終盤では狩野がスキャンダルを起こして宮城の実家に謹慎していた時期に、小島がアポなしで訪れ、たわいのない世間話をしてくれた話をしていました」(前出の専門誌記者)

 小島としてはわざわざ宮城まで来たこともあり、一泊するくらいの心持ちでいたが、あって10分くらいで狩野に「そろそろ的な……」という空気を出されたという。これについて狩野は「めちゃくちゃ嬉しかった」としつつも「(謹慎中は)テレビに出てる人たちがまぶしく見える」「話慣れてなかった」と、当時の精神的なダメージが理由だったと説明している。

 ちなみに20年11月にYouTubeチャンネル『狩野英孝【公式チャンネル】EIKO!GO!』で小島と語った際は、この謹慎後すぐに小島の結婚式に参加して「翼をください」を熱唱したところ、「謹慎してたっていうのもあって、(歌詞が)ものすごい響いた。言葉がズシンと伝わって、会場が本当にひとつになった」と小島はしみじみ語っていた。

 狩野も、「俺もどこか目標で、『小島さんの結婚式までに復帰したい!』と思ってたんですよ」と話しており、公私ともに素晴らしい関係を築けている、ということが伝わってきた。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5