4月7日、漫画家の藤子不二雄Aさん(88=本名・安孫子素雄)が天国へと旅立った。子どもの頃、その作品に心躍らせた多くの人が、訃報に、悲しみに暮れたことだろう。
「Aさんは、富山県の小学校時代に藤子・F・不二雄さん(本名・藤本弘)と出会い、漫画家を志しました。手塚治虫に憧れ、高校卒業後に2人で上京。親戚宅を経て、豊島区にあったアパート・トキワ荘に手塚と入れ替わる形で入居します。この場所で、石ノ森章太郎氏、赤塚不二夫氏らの仲間とともに研鑽を積んだんです」(漫画誌編集者)
■『オバケのQ太郎』が社会現象に
1964年、藤子不二雄名義で発表した『オバケのQ太郎』が大ヒット。同作はアニメ化されるなど、社会現象を巻き起こした。
そのブームの真っ只中、本誌(1966年5月26日号)の対談コーナー『大吉突如参上』に、藤子不二雄の2人が登場。Aさんは、興味深い話を披露している。
〈(Fさんとは)性格的にはずいぶん違いますけど、マンガとして狙う線は一致しています。(中略)これでマンガ観も違ってたんじゃ、ケンカして別れちゃうと思うんです〉
〈(独身なのは)たまたまこうなっちゃって、なにしろ無精者でテレ性で、それ以上に、女性よりマンガのほうが面白いものですから〉
Aさんは、その後も『忍者ハットリくん』『怪物くん』『笑ゥせぇるすまん』など、数々の名作を世に送り出し、昨年、めでたくデビュー70周年を迎えていた。『島耕作』シリーズの作者で、本誌連載『ニューシニアパラダイス』の監修を務めている漫画家の弘兼憲史氏は、Aさんの人柄について、こう話す。
「とても社交的で、アグレッシブな方でした。静かな雰囲気を持つ藤本先生とは正反対の印象です。いわゆる“大人の遊び”が、すごくお上手でした」
中でも、Aさんが熱心だったのがゴルフ。ゴルフ漫画『風の大地』の作者であり、本誌でも『球追う日日』を連載中のかざま鋭二氏とAさんの出会いにも、ゴルフが関係していたという。