■わざわざ大手ゲーム会社のプロデューサーを用意する気合の入りぶり

 結果として、04年にアンタッチャブルは『M-1グランプリ』で優勝。芸人を続けることになったが、「くりぃむしちゅーの座付きの作家で生きていきます」と直接有田に伝えていたことを、山崎は当時語っていた。なお、有田は後輩芸人にアドバイスする時、「これで仕事が仮に失くなったら、自分が食わす」覚悟を持っていることを7月3日放送の『くりぃむナンタラ』(テレビ朝日系)で語っている。

 今回は「いつも通りのお二人」ということで、テレビで見せるハイテンションな2人とは違う先輩後輩としての素顔が明らかになっただけでなく、1軒目に訪れた別荘候補地ではリモート中継で、ゲーム会社『コナミデジタルエンタテインメント』でサッカーゲーム『eFootball  ウイコレ CHAMPION SQUADS』のプロデューサー・松本達哉氏と中継を繋げる場面もあった。

「有田さんと山崎さんが“毎日20時間くらいやってる”とするほどに熱中するモバイルゲームのプロデューサーですからね。今回の放送でも、移動中の車内で有田さんが遊んでいました。こうした意外すぎる人物をわざわざブッキングし、サプライズで有田さんと山崎さんの写真を使ったゲーム内カードを作ってもらったり、『笑神様』の気合が伝わってきましたね」(前出の専門誌記者)

■有田に憧れて山崎も車を買った

 番組では、当時28歳で有田の付き人状態だった当時、ローンを組んで初めて買った車「黒のチェロキー」も用意。「チェロキーを運転するために免許を取った。それがなければ、免許持ってなかった」と山崎が振り返ると、「俺が車を買ったからね。頑張って中古ローンだけど車を買ったら、うらやましがっちゃったんだよね」と返す仲睦まじい場面もあった。

 山崎は付き人状態のため仕事があったわけではなかったが、「テレビ局に行ってる体感」があったため「自分も仕事増えたような錯覚」をしていたという。実際は「23時間寝ている」状態だったという。

 そのほかも、「お互い感謝していること」という話では、有田がハワイ旅行先で熱中症や腰痛になった際の出来事を振り返り「大きい病気とかするとずっと付きっ切りで何か買ってきてくれたり」と山崎をベタ褒め。

 一方の山崎も、「全部有田さんに教えてもらった」「有田さんが居なかったら何もやってない」と、パチンコやお酒、カジノなどいろいろな「世の中」や「遊び」を教えてもらったこと、「何か道を作ってもらってることが多いかもしれない」と、しみじみ語る場面もあった。

「その後も、00年発売のプレイステーションソフト『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』や『巨人の星』のスロットなど、思い出グッズが登場したり、盛り上がるロケになりました。それにしても、こうした顔合わせが実現し、かつこれだけ気合の入った内容に出来たのは『笑神様』のMCが内村さんであることが大きいかもしれません」(前同)

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4