■田村淳がガーシー上京を勧めたエピソードも詳しく公開

 同書では、淳と東谷氏は初対面は最悪だったものの、共通の知人を通じて仲良くなったこと、そして淳がある日〈ねえ、ヒガシさん東京出てこない? こんだけしゃべりがうまくて、女の子に人脈がある人はどこにもいないよ。大阪よりも東京のほうが絶対向いてるよ〉と言われたことで上京を決め、芸能界で活躍する“アテンダー”としての生活が本格的に開始した経緯が明かされている。

「東谷氏は当時、大阪で“スネに傷をいくつも作った”ために、大阪有数のスナック街・十三から出禁を食らった、ともありました。3月に公開された動画『ロンブー淳について話します』の中でも”淳さんがきっかけで上京した”とは話していたんですが、より詳しく淳との交流が明かされたという印象です。

 大阪でいろいろあった後、たまたまタイミングよく淳さんが上京を勧めたということなんでしょうが、“アテンダー・ガーシー”誕生の立役者が淳さんだった、という印象を受けた読者もいたようです」(前出の夕刊紙デスク)

『死なばもろとも』では、真偽は不明なものの、東谷氏が過去に淳に数多くの女性を紹介したことなども、赤裸々に書かれている。

「友だち宣言」をしているように、淳は東谷氏との関わりについては隠しておらず、8月上旬には東谷氏との対談動画を自身のYouTubeチャンネル「田村淳のアーシーch」の企画「セカンドチャンス」で公開する旨をすでに告知。そのため、この程度の暴露では、淳には影響がないという声もある。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4