■「中立」のキンキは『紅白』に出場できなかった

「これについては、『紅白』の“ジャニーズ枠”の歴史が関係しています。

 多い時は2020年に7組出場(※SnowManがコロナ感染で辞退したため結果的に6組)となったジャニーズ枠ですが、2008年の第59回までは、1組か2組しか出ておらず、その枠はSMAPTOKIOが独占していました。SMAPはともかく、キンキに比べると明らかに大ヒット曲は少ないTOKIOが24年連続で出演していたのは“派閥“が影響していたともっぱらです」(前出のワイドショー関係者)

 SMAP解散前のジャニーズ事務所は、SMAPチーフマネージャーのI氏が束ねる“I氏派”と、TOKIOやを見る藤島ジュリー景子氏の“ジュリー派”があったと言われている。

 そんななか、KinKi Kidsはといういうと、「ジャニー派」とも呼べるジャニー喜多川先代社長の管轄にあり、『紅白』に関しては1996年に近藤真彦の応援ゲスト、99年に企画コーナーに出演したことがあるものの、“蚊帳の外”状態だったのだ。

 そのためか、とりわけ堂本光一(43)が派閥を皮肉った発言をすることも珍しくなく、ジャニーズの年末の風物詩『カウントダウンコンサート』ではタッキー&翼と2組だけになった際に「中立な俺らが(ステージ上に)残りましたね」(2013年末)「さー!どっちも属してない俺らでーす!」(2014年末)と、とんでもない爆弾発言をしたことでも知られている。

“不自然”に出場できない『紅白」については当然のことながら不満を抱かないはずもなく、「俺らはどうせ出してもらえないから」など不満を漏らすこともあったという。

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