■「木の話」は人間関係にもフィードバックできる

 虹を見るのと同じで、木からいただけるあやかりは拝めただけで素晴らしいので、触らなくてもいいんです。それは、木に「好きだよ」と言いながら、結果的に傷つけて元気を奪っていることにつながってしまいます。

 そして、きっとそれは人間関係にもフィードバックできるでしょう。

「好きだよ」と言いながら、奪っている可能性がないか。「本当に好きなら、その人が元気よく生きていけるために何ができるか?」を考えて接している人は、好意を抱かれます。そうすることで、あなたにも運が巡ってきます。求めるのではなく、人に良いことをしてこそ、あなたにも運が巡ってくる。それを、伊曽乃神社の木から学べると思います。

■神社から「withコロナ時代」のヒントももらうことができる

 最後に、withコロナ時代のヒントをもらえるのが神社である、というお話を。

 新型コロナウイルスが流行する前は、神社でお参りする際には、みんな何も疑問に思わず昔からの礼儀に倣って普通に手や口を清めていましたよね。手などをきれいにしてから参拝するというのがルールだったんです。

 そして、話が変わるように感じられるかもしれませんが、神社は、他の宗教とは違い「良いか悪いか」では判断しないんです。宗教では「あなたしか信じませんよ」と契約を結んで、行ないが悪いと罰があたる。でも、神社の場合は、「良いか悪いか」ではなく「きれいか、そうじゃないか」で判断するんです。だから「清い」とか「ケガレ」という言葉を使う。

 これがなぜなのか、コロナ禍になってから気付きました。神社は、「人間と疫病」との戦いの場だったんですよ。神社は、昔から人々にとってのパブリックスペースでした。神様は偶像がなくて目に見えないものなので、「パブリックスペースで人が何をするか?」に価値があった。

 そして、昔の人はずっと疫病との闘いだったから、パブリックスペースに入る前に手や口を洗う重要性を知っていたんですよ。コロナ禍でのアルコール消毒と同じです。「疫病を持ってるかもしれないから、手と口を洗って(殺菌)から入ってね」というのをルールにしていたんです。

 また、日本でのあいさつは握手ではなくお辞儀ですよね。これも、昔から日本人は、実は「ソーシャルディスタンス」をとっていた、と言えるんですよ。

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