4月15日、歌舞伎役者の市川左團次丈が亡くなった。享年82。死因は肺がんだったという。
いきなりの訃報で、驚いた関係者もかなり多かったようだ。本人も4月、5月、6月と連続で歌舞伎座にも出演する予定でいたようで、亡くなった日に松竹の劇場に置かれていたチラシにも、その名が刷られていた。
4月の『切られ与三』では源氏店で多左衛門を演じるはずだったが、河原崎権十郎丈が代役を務めている。
四代目市川左團次丈の当たり役はいろいろあるが、特に悪役を演じると舞台で輝いた。
『助六』の髭の意休(ひげのいきゅう)や『忠臣蔵』の高師直(こうのもろのう)、『御所の五郎蔵』の星影土右衛門(ほしかげどえもん)など、左團次丈が演じる仇は本当に悪くて、強そうに見えた。これがチンケな悪人に見えるようでは、主人公のほうも小者に映ってしまうが、左團次丈は常にどっしり構え、まさに「相手にとって不足なし」という悪役だった。
また、『夏祭』の釣船の三婦(つりぶねのさぶ)や『熊谷陣屋』の白毫の弥陀六(びゃくごうのみだろく)など、一本筋の通った老人を演じても素晴らしかった。
舞台に立つだけで、物語が何倍にも面白くなる、稀有な役者だったように思う。
左團次丈は芝居以外でも人気者だった。襲名披露興行の際の口上では、ユーモアあふれるその言葉で客席はいつも爆笑だった。俳優祭の余興では網タイツのボンデージ姿を披露するなど、いつも「何かやってくれる」という期待を裏切らなかった。
26歳年下の女性と再婚した際は、「老後が心配なので介護してもらうために結婚した」とうそぶいていたが、こういうパンチのある言葉は記事にしやすいため、芸能マスコミにとって非常にありがたいものである。サービス精神にあふれる人柄だった。