■“投手王国”の礎に
一方の北別府氏も、2度の沢村賞に輝くレジェンドだ。動作解析の研究対象にもなったほど理想的な投球フォームは“投手王国”広島の礎となった。3学年下の後輩だった解説者の金石昭人氏は、こう語る。
「当時は、どのコーチからも“ペー(北別府の愛称)の投げ方を見ろ”と言われたし、僕を含めて若手は、みんな“プロの矜持”を北別府さんの背中から学んだ。しかも、後輩の登板もちゃんと見ていて、マズい投球をすると、“しっかり投げろ”という意味で“何しよるんじゃ!”と、愛のある檄が飛ぶ。僕なんかもよくドヤされたものですよ」
ふだんは温和で後輩の面倒見もよかったが、嫌いなランニングは手を抜きがち。
■何人も寄せつけないエースの気迫
だが、一度マウンドに立てば、何人も寄せつけないエースの気迫が漂った。
「コーチがマウンドに来ても“次、誰ですか?”と聞いて、信頼に足る投手でなければ“だったら自分が投げます”。そこに誰からも異論が出ないほどの絶対的な存在。それが、あの頃の北別府さんでした」(前同)
16日、全選手が右袖に喪章をつけて臨んだマツダスタジアムの西武戦では、左腕エース・床田寛樹が、偉大な先輩に捧げる完封勝利。
その背番号「28」は、北別府氏の生涯完封数と奇しくも同じだった。