■維新後に教授を務めて英語の普及に尽力した

 しかし、やはり彼が日本史に残した最大の功績は英語の普及だった。

 土佐藩の教授館(藩校)で英語を教え、幕府の天文方でアメリカの専門書の翻訳に当たったこともさることながら、彼は本邦初の英会話入門書といえる『英米対話捷径』を咸臨丸の出航にあわせて出版。批准使節団の他、同乗していた福沢諭吉もこの入門書を参考にした。

 万次郎は日本でしっかりした読み書きを習わずにアメリカで暮らしたため、帰国当時、日本語がうまく話せなかったという。それだけに英語を日本語に翻訳するのには苦労したようだ。

 維新後、万次郎は東京大学の前身に当たる開成学校の教授などを務めたが、もし彼がいなかったら日本人は英語という西洋の知識習得に不可欠なツールを使いこなせず、欧米化や近代化は遅れてしまったかもしれない。

跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。

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