日本全国に四万余社あるとされる八幡神社(もしくは八幡宮)。日本全国にあまた御座す神様の中で最も多く祀られている存在だ。
その「八幡神」は天皇家にも崇拝され、石清水八幡宮(京都府八幡市)は天照大神を祀る伊勢神宮に次ぐ皇室の第二の祖廟(詳細は後述)でもある。
これだけ有名で身近な存在ながら知っているようで知らない「八幡神」の謎に迫ってみよう。
■全国の八幡神社のルーツは?
宇佐八幡宮(大分県宇佐市)、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)を三大八幡宮といい、これに筥崎宮(福岡県福岡市)を加えるケースもあるが、全国の八幡神社のルーツは、ほぼ三大八幡宮といえる。
神様の分霊を他に遷すことなどを勧請と呼び、全国の八幡神社はほぼ宇佐か石清水、あるいは鶴岡から勧請され、建立されたものだ。
この三代八幡宮のうち、まず鶴岡八幡宮は康平六年(1063)に源頼義が石清水八幡宮から鎌倉の由比ガ浜に勧請し、頼朝の代になって現在地へ遷された。
一方、その石清水八幡宮は貞観元年(859)に宇佐八幡宮から分祀され、平安京の郊外に建立されたもの。つまり、宇佐八幡宮こそが全国の八幡神社のルーツであり、八幡総本宮と呼ばれる。
八幡宮は基本的に応神天皇を主神とし、その母の神功皇后と比売神がみの三神を祀る。比売神については諸説あるものの、応神天皇の皇后とする説に従うと、八幡神とは応神天皇ファミリーを神格化した存在となる。
天皇家が平安京の郊外に位置する石清水八幡宮を第二の宗廟とするのは、そこに祀られているのが応神天皇らの祖先神だからだ。
しかし、宇佐八幡宮のルーツを遡ると、八幡神はもともと異国の神(「原始八幡神」ともいう)だった事実が見えてくる。
■「原始八幡神」の正体は?
鎌倉時代に宇佐八幡宮の社僧が記録や伝承などを整理して由来などとしてまとめた『宇佐八幡宮託宣集』という史料がある。そこに「(八幡神は)辛国の城にはじめて八流の幡と天降って日本の神と成れり」とある。
まず、八流の幡とは神が宿る依代しろと考えられる。八幡とは、その八流の幡に由来しているのだ。そして、わざわざ八幡神が天降った際に「日本の神になった」といっているのだから、もともと異国の神だったことが分かる。事実、『古事記』や『日本書紀』に八幡神は登場してこない。では異国とは、どこなのか。『宇佐八幡宮託宣集』にある「辛国」は「韓国(からくに)」だとされ、彼らが営む城(支配地域)に天降ったのだから、八幡神は、朝鮮半島から日本へ渡来した氏族の神ということになる。
八幡はもともと「やはた」と訓まれ、「はた」は代表的な渡来氏族秦氏の「はた」と関連するともいわれる。
実際に八世紀初めの記録(戸籍)には宇佐八幡宮のある豊前国に「秦」に属する部民(豪族らの私有民)たちがいたことも分かっている。
秦氏は朝鮮から渡来し、葛野(のちの京都市)で定住するが、九州の周防灘周辺に残った一族が八幡神を祭祀していたのだろう。