タケモトピアノ広報が素顔を激白!財津一郎さん追悼「日本の喜劇人」爆笑伝説の画像
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 若者に教えてやりたい、アイーンでガチョーンで当たり前田の愉快痛快レジェンドの面々。怒るでしかし!

 10月14日に、俳優でコメディアンの財津一郎さん(1934~2023年)が89歳で亡くなった。昭和のお茶の間を笑わせた、伝説的な喜劇人の一人だ。

 そこで今回は、故人を偲しびつつ、同じ時代を生きた喜劇人たちの爆笑秘話をお届けしたい(以下、文中一部敬称略)。

■毒蝮三太夫が告白

「財津さんとはNHKのドラマ『天花』でご一緒したとき、年齢も近いので、よく、お話をしました。とても真面目な方でしたよ」と振り返るのは、俳優・タレントの毒蝮三太夫氏だ。

「財津さんは、“日本の喜劇王”エノケン(榎本健一)さんの最後の弟子でね。“感動させて、笑わせて、泣かせる。これがコメディアンの仕事だ”と教わったという話を聞かせてくれました」(前同)

 また、喜劇史の専門家である江戸川大学教授の西条昇氏は、次のように語る。

「財津さんは、エノケンさん主催の映画演劇研究所の研究生でした。エノケンさんのような、音楽的でアカ抜けた路線を目指していたんだと思います」

■長寿CMはこうして生まれた

 出演した『タケモトピアノ』のCMでも、センスが光る。同社の広報担当、北川勝利氏に話を聞いた。

「創業者が『てなもんや三度笠』(TBS系)時代から財津さんの大ファンだったので、00年頃に出演依頼をさせていただきました」

 とはいえ、最初のCMは「ピアノ買取しますよ、電話ください」といった、地味で真面目なテイストだったという。だが翌年、財津がコンテを書き、演出まで手がけてから、すべてが変わった。

「すべて財津さんにお任せして、“電話してチョーダイ! ピアノ売ってチョーダイ!”となったんです」(前同)

 今年9月まで放送された長寿CMは、こうして生まれたのだ。

「撮影当時の財津さんは65歳。実は、脳内出血の大手術明けでした。手術跡を見せ、“ここにボルトが埋め込んであるんだ”と、平然と笑ってましたね」(同)

 ちなみに、CMにも使われた彼の「~してチョーダイ!」や、「キビシ~ッ」などの定番ネタが生まれたのは、60年代に大阪に拠点を移してからだという。

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