“演歌の女王”激動人生!八代亜紀さんが明かしていた「大ヒット曲『舟歌』と電撃結婚」の画像
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 また一人、昭和の大物歌手が逝った。『舟唄』『雨の慕情』などのヒット曲で知られる八代亜紀さん(享年73)が、昨年12月30日に死去していたことが、今月分かった。

「昨年8月に、膠原病の一種で指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎を発症し、9月から入院。活動休止を発表して、闘病に専念していました」(スポーツ紙芸能記者)

■グラビア記事にも登場

 デビュー50周年を迎えた2020年には『週刊大衆』グラビア記事にも登場。元気な姿を見せていただけに悲しみは深まるばかりだ。当時、八代さんを取材した記者は、その飾らない人柄についてこう振り返る。

「いきなり、“ねぇ、UFO見たことある?”と聞いてこられて。“ないです”とお答えしたら、目をまんまるにして、“私ね、あるのよ”と。“えっ?”という表情をすると、“信じてないでしょう?”と顔を覗き込んでこられて、“本当に見たのよ”と。少女がそのまま、大人になったような方でした」

 インタビューでは、〈表現者ではなく、代弁者でありたい〉〈曲を聴いた人に“私の歌だ”って思ってもらえるのが最高にうれしい〉と、“演歌の女王”としての思いを語った八代さん。

 だが、“女王”となるまでの道のりは決して平坦ではなかった。

■父親に勘当されて

「中学卒業後、バスガイドとして数か月間働いた後、歌手を志し、地元・熊本のキャバレーで歌い始めます。しかし、3日で父親にバレ、勘当されてしまうんです」(芸能記者)

 八代さんは、19年に『週刊大衆』「美女トーク」に登場した際、当時の壮絶な秘話をこう明かしている。

〈「いつから不良になったんだ」って怒って大変でしたね。(中略)柱時計を投げつけられましたからね(笑)。壊れた柱時計の破片が私の背中に当たって〉

■銀座クラブのシンガーに

 それを機に、15歳で上京。音楽学校に通った後、銀座のクラブのシンガーとなる。

「八代さんが歌うとホステスも客も総立ちで踊り始める。そこで初めて、自分のハスキーな声が好きになったそう」(前出の芸能記者)

 1971年にデビューするも、ヒットに恵まれず、全国のキャバレーをドサ回りする日々だった。

「トランクにレコードを詰めて店を歌い歩き、手はマメだらけでした」(前同)

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