1966年に日本プロレスに初来日後、120キロを超える握力で相手選手の顔面を握り潰す必殺技、アイアン・クロー(鉄の爪)でマット界に名を馳せた名レスラー、フリッツ・Ⅴフォン・エリック。
彼と、その一族がたどった数奇な運命を描いた映画『アイアンクロー』が4月5日に公開され、話題となっている。
映画が話題
「製作会社のA24は、12年設立の独立系映画スタジオです。16年、23年にアカデミー作品賞受賞作を製作するなど、今、最も勢いのある会社で、本作は映画ファンからも注目されています」(映画誌ライター)
エリックは、97年に68歳でこの世を去ったが、日プロ、そして全日本プロレスのリングで見せた凶暴なファイトは、今もオールドファンの間では語り草だ。
「日プロ時代、ジャイアント馬場のこめかみを掴むと、驚異的な握力によって馬場の額から鮮血がしたたり落ちるシーンは、衝撃でした。
場外に逃げた相手の側頭部を掴んでロープ越しに引きずり上げたり、ストマック・ブローで胃を掴み出さんばかりに絞め上げたりと、右腕一本で見せ場を作る術は見事でしたね」(ベテランのプロレス記者)
週刊プロレス元編集長ターザン!山本「事業家でインテリジェンスあふれる素顔も…」
ただ、彼は単なる悪役レスラーではなかった。『週刊プロレス』元編集長のターザン!山本氏は、こう語る。
「彼はテキサス州でプロレス団体を設立、後にホテル、スーパー、銀行と手広く手がけた事業家です。リング上では暴虐の限りを尽くしていたが、素顔はインテリジェンスにあふれており、家族思いでした。
しかし、その大切にしていた家族が彼を絶望へと突き落としたのだから、運命とは皮肉なものです」
ケネディ家と並び“呪われた一家”
エリックには、妻との間に6人の息子がおり、エリックは幼少期から彼らにレスリングを教え込んだ。
「6歳で事故死した長男を除き、全員がレスラーになりました。しかし、三男のデビットは、全日本プロレス参戦時の84年に内臓疾患で急死し、86年には四男・ケリーがバイク事故で足を切断。87年には五男・マイクが23歳で服薬自殺。91年には六男・クリスが21歳でピストル自殺をしているんです」(前出のベテラン記者)
ケリーは義足をつけながら、プロレスに復帰したものの、後に、やはりピストル自殺で、この世を去っているという。
「そのため、アメリカではケネディ家と並び、“呪われた一家”と呼ばれています」(山本氏)