歌番組の全盛時代ツートップ

 アイドルの黄金時代だった80年代にツートップとして君臨した聖子と明菜は、何かにつけて比較された。

「キャラの違いから“ブリッコ聖子”“ツッパリ明菜”と言われたものです。歌番組の全盛時代だったこともあり、芸能マスコミもファンも、2人のライバル関係を必要以上にあおった部分がありましたね」(ベテランの芸能記者)

 80年代のレコードセールスは、聖子が39億円、対して明菜は37億円と、ほぼ互角だった。

不仲説も

「ただ、2年遅れでデビューした明菜の勢いはすさまじかった。特に、明菜が聖子を追い抜いた84年は印象的です。同年1月放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)で、明菜は『北ウイング』で聖子の『瞳はダイアモンド』を抜き、初登場1位を獲得すると、5週連続首位をキープ。

 この年、聖子は3枚のシングルを出したが、一度も『ザ・ベストテン』で1位を獲れませんでした」(前同)

 明菜が85年『ミ・アモーレ』、86年『DESIRE-情熱-』で、2年連続レコード大賞を受賞すると、歌手としての序列が決定的に。以後、不仲説が公然と語られるようになった。

近藤真彦と“ニューヨーク密会”がスクープ

 89年2月には明菜の恋人だった近藤真彦と聖子の“ニューヨーク密会”がスクープされ、芸能マスコミは大騒ぎになっている。

「密会といっても、2人はホテルのラウンジでスタッフを交えてお茶を飲んでいただけ、という話もある。

 同時期にニューヨークにいた聖子をマッチが表敬訪問したというんですが……真相は藪の中というしかありませんね」(同)

 同年7月、明菜はマッチの自宅マンションで自殺未遂。芸能界を揺るがしたこの事件で、彼女の歌手人生は暗転した。

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