ある病院の診察室
患者「先生、風邪を引いちゃったんです」
医者「…そうですか?」
患者「頭と喉が痛くて、咳が出て、それで昨日の夜から胸のあたりが痛くて」
医者「熱は?」
患者「熱は無いんですけど、冷や汗が出るんです、やっぱりインフルエンザですね」
医者「う~ん」
患者「今年の風邪はヤバイっすね」
医者「 … 心筋梗塞かもしれません」
患者「ええっ?」
おいおい、だからさ、患者が自分で風邪だと決めるんじゃないっての!
医者が診断してから決めるんだろうがっ!

□基本編 その二
一つは、先週お話しした絶対的に絶対量が必要だということ。
とにかくがんばって大量に詰め込んでいただきたい。
で、もう一つの基本中の基本は、『分かりたい病』との闘いです。

人には、何かを理解して納得したいという強い欲があるらしく、
オレはそれを勝手に『分かりたい病』と呼んでいます。
だってそれはしょうがないよね。
学校で習ってきたのは、なんとかして正解を出す方法だったんだもん。そうやっていつの間にか、どうしても答えを知りたい、知らなければイケナイというのが刷り込まれて、立派な強迫観念になってしまったんですね。
『分かりたい病』の初期症状は、「知ったかぶり」です。
前述の診察室の会話など、自分の少ない知識で勝手に判断してしまったり、一度か二度会ったことがあるくらいで、スッゲーよく知ってる友達になってしまったり、評判のレストランに、テレビで見ただけで、さも行ったことがあるように批評したり、雑誌で新作ゲームの紹介を読んだだけで、クソゲー呼ばわりしたりと、愚かな「知ったかぶり」は、世の中に蔓延してます。
その「知ったかぶり」が、重症になると「分かりたい病」になってしまうんです。自分で賢いと思ってる人のほとんどがこの病気にかかってます。(ホントに賢い人は、自分がバカだということをちゃんと知ってるんですね、余談です)
「分かりたい病」に冒された人はですね、とにかくやたらと人に相談するからすぐに判別できます。
何かうまくいかない事があると、すぐに友達やら先輩やら彼氏やら家族やらFBやらTwやらと、いろんな人に相談して、手っ取り早く正解を聞き出そうとする。
要するに
自分で考えることを完全に拒否してしまう非常に危険な症状です。
自分で考えないクセに、人の答えがうまくいかなかったら、その人のせいにして責めてくる。こうなってしまうとタチが悪くて手に負えない。

またまた余談だけど、
いろんな人に相談するな!
相談するなら、信頼してて尊敬できるたった一人に聞けっ!


いろんな人に相談する人は、いろんな答えを聞き出すけど、最後はその中から自分の判断で答えを選ぶだけ。だから、必ず大失敗する。
当然ですね、自分の考えがダメだから、うまくいかないのに、せっかくの正解かもしれない答えをまたダメな自分の考えで選んでるんだから、当然うまくいかないこと決定!ですねぇ。
遠回りのようでも、一番早い方法は、とりあえずの師匠を決めて(ここ大事!手本になる人間をとりあえず設定するってこと)自分のすべての価値観を捨て去り、その人の言うことだけ聞いて素直に実行するんです。
とりあえずの期間だけで良いです。ダメだったらその後に次の人に変えましょう。それを続けていくと何が正しいのか間違ってるのかが、だんだんと明確になってくる。そうです、ご存じの学習機能ってやつですね。
余談でした。

「分かりたい病」を断固として拒否しましょう!
人間は、脳の前頭葉というところで考えてて、何かを理解して納得してしまうと(困ったことに「分かりたい病」だから、無理矢理自分に都合の良い答えを出してしまうケースが多い)後頭葉にある分かっちゃった引き出しに仕舞い込まれてしまい、なかなか出てこなくなってしまいます。アイディアに正解なんて無いんだし、分かっちゃったら脳内の思考が停止してしまう。
これはかなりやっかいで、かなりもったいないことです。
前回もお話ししたことと同じですね。
グダグダ言い訳するなっ!思い切って捨ててしまえっ!

ちょっと想像してみてください。
ミステリーを読んでて、犯人が分かる直前に読むのを止める。
モヤモヤしてイラッとしてキーッとなるけど、心を鬼にして我慢する。
それを10冊ほど続ける。
頭の中が推理と混乱と倒錯と妄想でグチャグチャになってしまう。
これで、最高のコンディションの出来上がり!
アイディアが出るのは、そんな状態なんです。

何となくのイメージだけをあいまいなまま、いい加減なまま放置する。情報と知識の放置プレイ!
これがいい加減な学習の一番大切なポイントなのです。

脱線しまくりのコラムでございますが、次回は、いい加減な読書法をちょびっと紹介します。

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