「やられたらやり返す」の精神は政界でも同じ。地方での圧倒的人気をバックに強烈な殴り込み。総理の椅子も悠々とブン獲り!

石破茂・自民党幹事長(8月28日現在)が、ついに"ポスト安倍"への野望を剥き出しにした。

「謀反の狼煙を上げたのは8月25日、TBSのラジオ番組『荒川強啓 デイ・キャッチ!』にゲスト出演したときのことでした。ここで、安倍首相から内々に要請されていた安保相(安全保障法制担当相)拒否を明言。返す刀で幹事長続投を突きつけました」(全国紙政治部デスク)

内閣人事は、首相の専権事項。「これまで表立って安倍首相に"楯突く"ことがなかった」(前同)石破氏が、それを公然と突っぱねて、ボスの意向に歯向かう姿勢を見せたのだ。

「前代未聞のことです。これで、安倍首相はメンツを潰され、2人の関係は完全に決裂。自民党内は一気に戦闘モードへと突入しました」(同)

この"石破幹事長続投"を巡るツバぜりあいは、1か月前から始まっていた。

「まず、7月。安倍首相が安保相就任を石破幹事長に水面下で打診したんです。ラジオでの"謀反宣言"までに3回、直接、首相から言い渡していたと聞いています」(石破氏に近い自民党中堅議員)

これに対し、石破氏は態度を鮮明にせず、終始ムニャムニャ。

「そうした煮え切らない態度に怒り狂った首相周辺からは、"安保相を断ったら無役にするゾ!" "無役になったら誰も相手にしないぞ"など、さまざまな脅しがあったようです」(前同)

来年9月の自民党総裁選で無投票再選を目指す安倍首相にとって、ライバルの石破氏"閣内封じ込め"は絶対にやらねばならぬ一手。

一方、石破氏は、ここで党のカネと公認権を握る幹事長職を解任となれば、実質的に手足をもがれることになる。

「両者の激突は、遅かれ早かれ避けられないことでした。それが、今回の石破幹事長解任の内閣改造劇(9月3日、党人事は同2日)で、一気に噴火するに至ったんです」(同)

この2人――安倍首相と石破幹事長の確執は長く、そして深い。

まずは2007年7月、第1次安倍政権末期。安倍首相陣頭指揮の下、参院選に臨んだが自民党は大敗。

ねじれ国会を現出してしまった。ここで、石破氏は安倍首相の責任を厳しく追及。面と向かって罵倒する挙に出た。いわく、「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」「総理が退陣せねば、自民党が終わってしまう」など糾弾の限りを尽くし、徹底的に追い込んだのだ。

「この痛罵が、第1次安倍政権瓦解の引き金になった。これを安倍首相は根に持ち"(石破氏は)絶対に許さない"と周囲に漏らしています」(ベテランの政治記者)

そんな2人の間に決定的な亀裂が生じたのは、12年9月の自民党総裁選(決選投票で安倍・石破両氏が激突)。

「このときは安倍氏がギリギリのところで総裁の座を勝ち得ましたが、地方票の内訳は石破氏が圧倒的勝利。これ以降です。安倍首相は、石破氏を究極のライバルと見なし"いつの日か、葬り去る"との執念を燃やすに至ったんです」(前同)

のち、党のトップの幹事長に留めたのも、形式的なこと。バッサリ斬る瞬間を、今か今かと待っていたのだ。加えて、両者の政治スタンスの違いも、ここにきて明白になって来た。

団的自衛権を閣議決定、憲法改正に執念を燃やすイケイケドンドンの安倍首相だが、石破氏は違う。

「"第2次大戦のときに日本の戦争指導者たちは、何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから私は靖国神社に参拝しない"と公言。首相の持論である靖国公式参拝に、真っ向から異を唱えています」(前出・石破氏に近い自民党中堅議員)

戦争観が真っ向から対立。政治ジャーリストの鈴木哲氏が言う。

「今回、石破氏が安保相就任を頑なに拒否したのも、集団的自衛権についてなど安倍首相の国防政策に不満を抱いていたから。同時に、石破氏は安全保障分野において、安倍首相より自分のほうが論理的、知識的に圧倒的に優位にあるとも自負しています」

安保相を受けることは、実質的に安倍軍門に降ることとなる。そんなこと、プライドが許すはずがない。大逆襲あるのみ――。

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