――そんなお話を聞くとレンタルして見たくなりますね。

寺島 いいよ、見なくて! 恥ずかしいよ(笑)。
あと、ホンモノといえばさ、任侠もののVシネマで初めて主演やらせてもらったのが『関東やくざ戦争』(石原興監督 03年)って実録ものだったんだけど、当時はホンモノの人たちがウロウロしてて、やりづらかったねぇ。暴対法もできたし、今では考えられないけど、そんなこともあった。でも石原監督がうまく愛情をこめて気を遣って撮ってくれてね。それは本当にありがたかったな。
あとは5、6年前にやった白竜さんの主演作品の現場も大変だった。白竜さんから直々に「いつごろ空いてんの?」みたいな感じでオファーの電話がかかってくるんだよ(笑)。過酷な現場になることはわかってるから『うわぁ来たよ~』とか思うんだけど、断れないでしょ? 「いつっていうか……○月×日なら空いてるんですけど」って言うと、「じゃ、その一日でいいから」ってなる(笑)。
だから一日だけなんだけど、その一日が長かったね~。平気でてっぺん(深夜0時)超えるし。昔は「低予算」と言いながらもそれなりだったけど、最近は本当にどんどん予算が削減されてるから、現場がどんどん過酷になってる。出演者もそうだけど、スタッフはもっと大変で可哀想だよなぁって思った。

―――いろんな種類のご苦労をされてますね。

寺島 そうね。でも俺、そんなに本数は出てないんだよ。Vシネマが全盛の頃、生意気にも時流に逆らって「Vシネ? 出ないよ、俺」なんて、そういう時期もあったから。

――そうなんですか!? それはなぜですか?

寺島 なんかね、役もストーリーも同じような作品が続いてパターン化された感じがあって、正直言って一瞬、飽きたの。でもさ、同世代の俳優仲間がVシネマで頑張ってるわけじゃない? そういうのを見ると、ちょっと俺も参加すっかなぁってつられたところもあった。やったらやったで面白かったしね。

――つられた俳優さんとは、たとえばどういう方ですか?

寺島 哀川翔さんもそうだし、遠藤憲一さんもそうだね。でもやっぱり一番は小沢兄弟かなぁ。なんか小沢のアニイもカズ君(小沢和義さん)も、2人とも頑張ってたんだよね~。いや、今も頑張ってるんだけど当時は特に。新しいことをやろうっていう熱意がすごくて。小沢のアンちゃんが「テラもVシネに協力してくれよ」なんてしょっちゅう連絡してきたりするもんだから、そう言われると『じゃあ協力するか!』みたいな感じになる。結局、役者の気持ちってそういう一言で大きく左右されるから。で、実際にやると面白いから、またいろいろやるようになったりしてね。25年の間にはいろんな時期があった。

――Vシネマファンも「寺島さんが出てる!」と思うだけで違いますもんね。

寺島 そう? そういうお客さんが多いと嬉しいねぇ。

――ちなみに、役者さんって作品の内容につられることはないですか? 危険な雑誌の編集者とかライターって、だんだん言葉遣いが悪くなっていくそうです。売り上げの話をしているときに「シノギがさぁ」なんて使ったり。

寺島 それは、ない(笑)。ちょっとエラそうだけど、俺たちは何万人という役者さんがいるなかで選ばれてきた代表者だからね。限られた役を奪い合うわけで、就職率ってすげえ低いわけ。だからこそ、キャスティングに落ちた人たちの痛みとかもわかんねぇと。そういう痛みも感じながら、代表者として「ああ、寺島進が出たなら自分はその役につけなかったな」ってねじ伏せないとダメなんだ。どんな作品だってやりたかった人はたくさんいると思う。そいつらの代わりに「俺たちがやってやるからな!」という気持ちで楽しんでやってる感じだね。やるからには、責任があることだからね。そういう意味では、みんなマジメだよ。

――改めて、寺島さんにとってVシネマとはどういう存在ですか?

寺島 楽しむ場所だね。やっぱりいろいろ予算が減ってタイトになってはいるけど、規制に捉われなくていい、自由にやらせてもらえるって部分は変わりない。だからのびのびやれてすごく楽しいし、楽しめるし、楽しんだもん勝ちだなと思ってる。うん。


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