魁傑の名言「休場は負けだ」

なかでも、平成の名勝負として1~2位を争うのは、朝青龍が新大関となったばかりの02年秋場所11日目の貴乃花戦。
「気迫十分で優勝を狙う朝青龍に対して、横綱・貴乃花は休場明けで満身創痍。取組は、立ち合いから朝青龍が強烈なのど輪押しで攻めて圧倒しました。しかし、最後はまわしを取られ、上手投げで土俵正面に叩きつけられます」(前同)
よほど悔しかったのか、朝青龍は花道を下がりながら髷を振り乱し、「畜生!」と叫んだという。
「横綱になってから朝青龍は稽古しなくなったと言われますが、大関時代は別。ケンカしてるんじゃないかと思うほど、気迫あふれる稽古をしていました。おそらく、朝青龍が一番強かった時代でしょう。ところが、それでも貴乃花には歯が立たなかった。このあと両者が対戦することはなく、貴乃花は引退してしまいます」(ベテラン相撲記者)

朝青龍が勝ちたくても叶わなかった貴乃花の父・貴ノ花(元大関)も、多くの名場面を残している。
「小兵のわりに技がない。つまり正攻法な相撲を取った力士。ただ、その足腰は最強で、土俵際で粘って、バックドロップのような姿勢で相手を投げたこともあります」(前同)
巨漢力士だった高見山(元関脇)との取組は、牛若丸と弁慶との戦いにたとえられた。80年秋場所7日目の取組は、土俵際で高見山の左小手投げと貴ノ花の右すくい投げの打ち合いとなった。
「わずかに高見山の右手が先に落ちたと見えたため、行司の軍配は貴ノ花に上がったものの、物言いがつき、貴ノ花の髷の先端がわずかに早く土俵についたとして、軍配差し違えで高見山の勝ちとなりました。前代未聞の髷の長さが勝敗を分けた一戦でした」(同)

最後は、今年5月に他界した放駒前理事長(元大関・魁傑)の不屈の力士人生にまつわる話で締めくくろう。
「魁傑は"休場は負けだ"の名言を残し、不調で黒星が続いても決して休まなかった。ある場所中、僕が取材で奥さんに会ったとき、自宅に帰ったら魁傑は魔法瓶さえ持てない状況だと言われ、驚きました。それでも土俵に上がり続けたんですからね」(大野氏)
話題満載で、ようやく活気を取り戻しつつある大相撲を見て、放駒前理事長も天国で喜んでいるはず。

九州場所では、どんな名場面が生まれるか。千秋楽へ向けて、目が離せない!

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