青井「話は変わりますが、パンチさんがドラフト1位で選ばれたとき、もの凄い興奮が伝わってきましたけど、実際の興奮はどのくらいでしたか?」

パンチ「事前に話はついているのが現実かな。熊谷組の2年目に6球団から話があった。某球団とはかなり具体的なことまで決まったので、この球団から“指名されるんだな”と思っていた。残念ながら、この球団から指名されなかったけどね。契約金から、年俸、背番号まで決まっていたのに……」

青井「そこまで具体的なんですか!」

パンチ「翌3年目には西武を除く11球団から話があったけど、前年のケースがあったので、“指名されたら考えます”ということにした。あの年は、初めてのドラフトがテレビ中継されたので、普通に観ていたところ、放送時間がなくなる直前、オリックスからの指名。だから、ビックリというか興奮というか……」

●パンチパーマになった由来は!?

青井「パンチさんを初めてドラフト会議で見た時、僕は小3。広島という土地柄、野球をしている人がパンチパーマにしている印象はあまりなく……」

パンチ「僕が高校、大学の頃は“野球選手=パンチパーマ”だったの。金のロレックス(時計)をはめてセカンドバッグを持ち、白のスーツを着込む。これがプロ野球選手のスタイルだった。“よし、プロ野球選手になるのなら気合いを入れてそういう恰好をしよう”と実践したら、すでに時代が変わっていた。選手の髪型はセンター分けでスーツも「ギュッ」と絞った流行りもの。当時パンチパーマだったのはコーチ陣だけ。カープでは山本浩二監督や正田耕三さんがそうだったでしょ」

青井「山本監督も……」

パンチ「もともと僕は、歌手の山本譲二さんが好きだった。社会人になって新宿・歌舞伎町に飲みに行った時、店のママから“学生がこんなところに来ちゃダメよ”といわれたのがパンチパーマのきっかけ。“オレ、迫力がないんだなあ”と思い、大好きな山本譲二さんを倣ってパンチにしたわけ」

青井「そうなんですね~」

パンチ「今回はこの辺で。次回は、イチローの話や僕のキャッチフレーズ“ダイナマイト!”について話そうか。やっぱり“野球が一番!”だよね」

パンチ佐藤(ぱんち・さとう)プロフィール

1964年12月3日生まれ
亜細亜大学から熊谷組を経て、オリックスにドラフト1位で入団。プロ野球時代、トレードマークのパンチパーマと独特な発言で人気者に。引退後はタレントとしても活躍し、2015年シーズンからBCリーグ『武蔵ヒートベアーズ』の宣伝本部長に就任した。

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