しかも、06年に大幅改修される以前の阪神外回り1 600メートルは、スタートしてから最初のコーナーまでが1ハロンほどしかなく、距離ロスのない内を走るためには、先行するか、後ろから行くかの2つに1つ。単枠指定で18番に入った時点で、ある程度の覚悟はできていました。
最後方から馬場の内側を走り、わずかなスペースを見つけて潜り込む――彼女の脚があったからこそ出来たことですが、道中、不利を受けることは一度もありませんでした。
ではなぜ、このレースが伝説となったか。それは、レース後、マスコミの方に囲まれ、意図的に出遅れたのかどうかとの質問に対してつぶやいた一言。「それは、みなさんのご想像にお任せします」と言ったことが、噂が噂を呼び、ただの出遅れが、究極の戦術として、半ば伝説化したというのが真相です。
そうなると否定するのも余計にかっこ悪いので、いまも、そのままにしてありますが(笑)。伝説というものは、案外、こんなものなのかもしれませんね。春爛漫みなさん、今週末は、「桜花賞」の舞台となる阪神競馬場でお逢いしましょう。
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