ターフに刻まれし快走劇!名馬烈伝 ホースダング神津
「第一次競馬ブーム」の立役者・ハイセイコー


先週の牝馬クラシック第一弾の桜花賞は、単勝馬券を何とか的中することができた。

今週は、牡馬のクラシック初戦・皐月賞。皐月賞を制したスターホースは数多いが、「第一次競馬ブーム」を巻き起こし、その強さとロマンで一般大衆をも魅了したハイセイコーが思い出される。

1970年に生まれたハイセイコーは、まず、地方競馬・大井競馬場の伊藤正美調教師のもとに入厩した。1972年6月にデビューが予定されるも、頭数が揃わず、レース不成立となる。真偽のほどは定かでないが、あまりにも格が違う同馬を恐れて、他陣営が回避したとも噂された。

結局、初戦は7月。大井を筆頭とする南関東の競馬場には、砂のコースしかないが、ダート1000m戦を走ることに。そこでいきなり、8馬身差のレコード勝ちを収めてしまう。

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その後もどんどん白星を挙げていき、地方での6連勝は全て7馬身以上の圧倒的なVロードだった。前々から検討されていたが、この馬の底知れない可能性を感じ、中央競馬への移籍が決定した。

“地方競馬の怪物”として大きな注目を集めたハイセイコーは、増沢末夫騎手を主戦ジョッキーに、皐月賞トライアル・弥生賞へ。12万人以上もの観客が集う中、未体験の芝レースのせいか、手応えがあまり良くない。それでも、何とかニューサントなどを完封する。

もう1走を快勝後、いよいよ、本番のGⅠ・皐月賞。レース当日は重馬場となり、道中7番手あたりを追走したハイセイコーは、第3コーナーで早くも先頭を窺う。ゴールでは2馬身半の差をつけて、地方出身馬初の皐月賞制覇を成し遂げた。

この優勝により、同馬の人気は競馬ファンだけにとどまらず、さまざまなメディアの報道合戦が過熱した。一般の人にまで、ブームが波及していくことになる。

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