その後も満足な調整ができないながら、朝日杯3歳Sのレコード勝ちを含む連勝街道まっしぐら。しかし、大問題が立ちはだかる。前述した通り、持込馬ゆえにクラシック出走資格がなく、競馬の祭典・ダービーに出られないのだ。

「28頭立ての大外でもいい。賞金などいらない。マルゼンスキーにダービーを走らせてほしい」

主戦だった中野渡清一ジョッキーは、こう懇願したといわれている。

ダービーの出走が叶わなかったマルゼンスキーは、「残念ダービー」とも呼ばれるラジオ短波賞で7馬身差の圧勝し、多少なりともその無念を晴らした。

次戦も快勝するや、いよいよ、トウショウボーイやテンポイントたちとの対決か! と、大いに期待が高まる。しかしその矢先、不治の病・屈腱炎を発症し、8戦全勝で引退してしまった。

合計着差は驚異の61馬身。あまりの強さに他陣営が対戦を恐れ、出走頭数が5頭程度のことも多く、レースの成立さえ危ぶまれることもあった。

早くに引退したため、マイルを中心とした実績しかないが、底知れぬポテンシャルでどこまでの距離を勝ち抜いていけたのか、興味は尽きない。

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