三沢さんが亡くなったあのとき、「有名人の死」についても考えさせられた。

当時mixiが流行っていたが、忌野清志郎さんが亡くなったとき、熱烈ファンの友人はmixiで「沈黙」した。清志郎が亡くなる前年の武道館復活ライブ時は、喜びがあふれて文字が弾けていたのだけれど、訃報のあとはしばらく日記の更新がなかった。
そうだろうなぁと思った。それだけ思い入れがあるなら、亡くなった瞬間から語れないだろうと思った。それが見続けてきた人だろうと。

そしたら翌年に三沢光晴が亡くなってしまった。私は「三沢の死」のニュースを知った人たちが「ご冥福をお祈りします」と、速報のひとつで消費してしまうことに抵抗があった。

しかし数週間後。
マイケル・ジャクソン死去の一報をたまたまリアルタイムで聞いたのだ。そのとき「みんなに教えたら驚くだろうなぁ」とソワソワしてる自分にも気づき、あっと思った。

三沢の死をいち早く語ろうとしていた人たちと同じではないか。有名人の死を速報として消化してるだけじゃないか。
このとき以来、有名人が亡くなってからの「ご冥福をお祈りします」の大量発生にはザワザワした。自戒を込めて。

でも有名人というのは自らの死さえ世間の人々の会話のきっかけとして提供する、それが宿命とも一方で思う。
三沢さんにはいろいろ教えてもらいました。



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