当時、武相は第2土曜日、第4土曜日(当時は土曜授業)はクラブ活動の日といって、登校せず、部活に専念する日だった。さらに、武相の進路指導は変わっていて、(1)部活を一生懸命頑張っている人、(2)成績順という流れになっており、部活を頑張っている生徒が進学・就職に優位だったんです。

前回、高校1年の時、将来の目標は「川崎市水道局」だったと綴りました。1年生の時は「何とか頑張って水道局へ入る」ということだけを考えて練習に励んでいました。

2年生になると、ある変化が生まれたんです。

「あれ? オレはけっこう上手いぞ」

神奈川県には東芝、日本石油、三菱自動車川崎、日産、いすゞ…というノンプロがある。しかも、強豪チームです。そこで、「よし、ノンプロだ!」。

2年でベンチに入りした私は、代打で打ちまくりました。いろんな高校との試合で力をつけたんです。
3年生になった時、一番打者のA君と二番打者のB君に亜細亜大学からスカウトが来ました。三番打者の私は、彼らには勝てなかった。二人はチームを代表する選手でしたね。
当然、二人は亜大に行くモノだと思っていましたが、実はこの二人、超が付くほど個性的。「大学に入ってまで坊主頭になりたくない」という理由で亜大を拒否。ノンプロに進みました。

余談ですが、彼らが入らなかったために2枠空きが出た。そこに、私が入ったんです(もう一枠は阿波野秀幸)。

今回はここまで。次回は、私の高3神奈川大会について書いていこうと思います。
やっぱり「野球が一番!」ですね。


パンチ佐藤(ぱんち・さとう)プロフィール

1964年12月3日生まれ
亜細亜大学から熊谷組を経て、オリックスにドラフト1位で入団。プロ野球時代、トレードマークのパンチパーマと独特な発言で人気者に。引退後はタレントとしても活躍し、2015年シーズンからBCリーグ『武蔵ヒートベアーズ』の宣伝本部長に就任した。

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