チャクリキ代表 甘井もとゆきのファイティングスポーツはサイコー!
第1回「ジェロム・レ・バンナのこと」




はじめまして。ドージョーチャクリキ・ジャパンの代表をしております、甘井もとゆきと申します。

ドージョーチャクリキは格闘技に詳しい方ならご存知のように、初代K-1王者のブランコ・シカティックや「20世紀最強の暴君」ピーター・アーツ選手を輩出したことで世界最高のジムとの評価を得て有名になりました。その後もノブ ハヤシ、ロイド・バン・ダム、バタハリなど国籍を問わず多くの優秀なファイターをトム・ハーリック会長は育ててきました。

2010年にチャクリキにとってひとつの事件が起こります。

前年2009年にピーター・アーツ選手がドージョーチャクリキに電撃復帰。

「限界説」も囁かれていたピーター選手ですが、少年時代からの師匠、トム会長の元で自らの再生に着手し、エロール・ジマーマン、グーカン・サキなどを次々と撃破し奇跡の大復活を遂げました。

ピーター選手の再生を横目で見ていた「K-1の番長」ジェロム・レ・バンナ選手はこれだけのトップスターでありながら、チャクリキへの入門を決意し、翌2010年にチャクリキに入ってきました。このニュースをトム会長から聞いた私は耳を疑いました。これまでジェロム選手はチャクリキにとって対角線上に居るのが当たり前の選手だったからです。しかし、素直にトム会長の元で自らの再生を懸けたいというジェロム選手の気持ちには感銘を受けました。

前述通り、チャクリキにとってジェロム・レ・バンナという選手は対角線コーナーに居るのが当たり前の選手で、当時は対戦も多かったが、強く怖いというイメージ通りで、あまり話す機会もありませんでした。後で聞いたら若い頃には出稽古でよくチャクリキ本部に足を運んでいたとか。これも意外でした。

現在チャクリキ・ジャパンでは天田ヒロミ選手のマネージメントを行っておりますが、天田選手もK-1 JAPANでいつもノブ ハヤシ選手の対角線に居た選手であり、最初はなかなかジェロム選手や天田選手がチャクリキの仲間である事に慣れませんでしたね(笑)。

実際に接するようになって、ジェロムの持つ怖さや強さは、そのまま「男気」であると解りました。ズレている所も多々ありますが面倒見の良い奴で、まさに番長です。

ジェロム選手が来日時に号令を掛け、ノブ選手と天田選手を川崎のインスパイヤードモーションに集合させ合同練習を行った事もあります。(インスパの山本アキラ代表はチャクリキOBでもあります)合同練習に参加はしましたが、天田選手は数日前の試合で激しくヒザを痛めており、ジェロムにも「今、ヒザが悪いから、ゴメンネ」と伝えておりました。

ジェロムは「OK! OK!」と返しており、それ以上に同じ大会にジェロムも参戦しておりましたから解っている筈なのに、熱を帯びてくるとそんなもの忘却の彼方です。天田選手に激しいローキックを叩き込み悶絶させました。

チャクリキでトレーニングを開始してからジェロム選手のローキックは凄いものになりましたね。フランスの大会ではローキックでKO勝ちを収めたりもしています。しかしここで天田選手にそこまでやる必要は無いでしょう。天田選手も「ジェロムの野郎!」と苦笑いしていました。
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