美央とのタッグをやめたとき、プロ意識が芽生えた
――高校生でプロデビューを果たして、生活のペースもガラッと変わったと思うんですが、その辺りはどうでした?
イオ そうですね。平日は学校に行って、日によっては練習をして、週末は試合。今だから言えますけど、普通の高校生がやるようなバイト感覚というか、お小遣い稼ぎというか。プロレス自体にまったく身が入ってなかったんですよ。だから、そのままデビューしちゃってからが辛かった。わからないことが多すぎて、めちゃくちゃいっぱい失敗するんですよ。で、当然ですがヤジとか浴びて恥をかきまくるわけです。
――やっぱり普通の高校生のバイト感覚とは違いますよ。
イオ デビューしてから1年、2年は、もう何十回泣いたかわかんない。試合で恥ずかしい思い を味わって。ヤジをとばされて。そのころのことは試合で失敗したことしかほとんど覚えていないんです。その場では泣かなかったけど、家に帰ってから毎日泣いてましたもん。
――デビュー当時のイオ選手には、若さゆえのふてぶてしさがあったので、そんな姿はまったく想像出来ませんでしたが。
イオ いや、もう、家族にだけは絶対バレないように。風呂場でこっそり泣いてましたね(笑)。ホントは辞めたかったんですよ……。でも「どうせオマエら姉妹はスグにプロレス辞めるんだろ?」みたいな空気が会場まわりに流れてたんですよね。ちゃんとした団体にも所属していない、フリーみたいな立場だったし、そもそも礼儀もなってないし、チャラチャラもしてたし。何も出来てないヤツらだから、スグに辞めるだろう、って思われてたんですけど、そこで辞めたらそれこそ「アイツら、なんだったの?」って思われちゃうじゃないですか。だから「辞めたいけど辞めちゃいけない」って必死で喰らいついていったんです。
――辞めなかったのは意地だけ?
イオ やっぱり姉が一緒だったからですね。それが本当に心強かった。一人だったら、心折れてたかもしれないですけど、姉がいたから、先輩レスラーに無視されても、姉と喋ってればいいか、って。それが支えになってたし、だから乗り切れたんだと思います。じつは私、もともとメンタル弱いんですよ。本来は“豆腐メンタルのスーパーネガティブ女”なんですよ(笑)。
――失礼ながら、リングでの堂々とした姿があるし、そういうイメージまったくゼロですよ!
イオ いや~、めっちゃ弱いんですよ~。自分に自信持てないし、気も弱くて、言いたいことも何ひとつ言えない子だったんですよ。けっこう、ず~っと、二十歳過ぎるまで。思ったこと、何ひとつ言えなかったんですよ、本当に。
――その当時はお姉さんがずっと横にいたから、たとえアピールできなくても「妹だからしょうがないよね」というキャラとして観客からは見えてましたね。
イオ あぁ、それはありましたね。周囲の声に甘えていた部分はあります、ゼッタイに。
――それが現在のようなバリバリのプロ意識を抱くようになったのはいつ頃でしょうか?
イオ そうですね、紫雷美央とのタッグをやめたとき、です。姉妹ゲンカとかではなく、私自身が“紫雷姉妹”と言うブランドを捨ててでも勝負したいと思うようになったんです。自我が芽生えたんですよね、紫雷美央の妹っていう隠れミノから抜け出そうって。“紫雷イオ”として、一人のプロとして行動してみようと思ったんです。