イチローよりも上手い外野手

内野の次は外野の3選手。まず左翼手は、中日と広島で渋い働きを見せた音重鎮。音と聞いて、「巨人の斎藤雅樹のノーヒットノーランを打ち砕いた」と言う人は中日ファン、「ホームランボールをキャッチした」と言ったら広島ファンではないだろうか。
「中日時代、あの全盛期の斎藤から9回1死から代打で初安打を放ち、その後、落合の逆転サヨナラ3ランという流れは今でも語り草になっています。広島時代の忍者キャッチも伝説になっていますね」(前出のスポーツ紙記者)
ちなみに娘の音華花はアイドルユニットに所属していたことがある。いぶし銀の娘は美人になる!?

センターラインの要の中堅手には、名手であったオリックスの本西厚博。
イチロー、田口壮とともに鉄壁の外野陣の一角を担っていた。「イチローよりも守備が上手い」と自負していたほど。
「本西さんは常々、イチローの守備は無駄が多すぎると話していました。見せるプレーになっていると。本西さんは引退後、多くの球団でコーチを務めていますが、"ダイビングキャッチをするのは本当のファインプレーじゃない。難しい打球を普通にキャッチするのがプロ"と、選手たちに話しています」(スポーツライター)
守備でトップに上りつめたイメージが強いが、89年には規定打席には到達しなかったものの、打率・302を記録。目立った記録はないが、球史に残る外野手と言えよう。

右翼手には、南海、ダイエーで活躍した湯上谷宏(後に登録名を竑志に変更)。二塁や遊撃を守ることが多かったが、どこでも守れるユーティリティプレーヤーなので外野で選出。
眼鏡とヒゲという風貌で、90年から92年までフル出場を果たす。91年には30盗塁をマークするなど、活躍を見せた。
「湯上谷さんは、引退後も守備範囲が広いんです。ダイエーのフロントに入って営業を担当したり、合宿所の寮長を務めたり。話してみると、野球選手というより、普通の会社員みたいですね」(ソフトバンク担当記者)

ここで守備につく9人は揃った。トリを飾るのはDH。このポジションも外国人が埋めることが多く、なかなかいぶし銀が少ないが、やはり、ここは"最後の南海戦士"である大道典良(後に登録名を典嘉に変更)しかいないだろう。
ぽっちゃりな体を小さく曲げ、バットを短く持つという変則打法で、3割を超えるハイアベレージを幾度となく記録している。
「打撃の能力だけにしたら天才だと思いますよ。投手が何球か投げただけで癖をつかんでしまうみたいですから」(前出の夕刊紙記者)

ダイエーで活躍後は、06年に巨人へと移籍。"代打屋"として、終盤の切り札として09年の日本一に大きく貢献した。
「日本ハムとの日本シリーズ第5戦に代打で同点タイムリーを打ったんですが、一塁ベース上で何度もガッツポーズをしていたのが印象的です。打席に入る前は、チームメートが声をかけられないほど、極限まで集中していたそうです」(巨人担当記者)
プロ生活22年。長年にわたって培ったものが、あの一打席に集約されていた。

こうして10人を振り返ってみると、やはり「人気のセ、実力のパ」と昔からいわれていたように、いぶし銀はパ・リーグに多くいたようだ。
150キロを超えるストレートに、場外へと消えていくホームラン。それも醍醐味だが、送りバントや流し打ち、ファインプレーに見せない技術。プロ中のプロが見せる熟練の技に注目だ。

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