武藤 いまでも覚えてんのが、新弟子で入ったばっかの時に、猪木さんがブラっと道場に練習しにきて、帰る時に、「おい、武藤。タクシー代貸してくれ」って。俺、1万円貸したの。
柴田 新弟子から。
武藤 そうだよ。しかもその1万円、まだ返してもらってない。スゲー根に持ってる。あの時の1万円ってデカイから、いまの比じゃない。だから忘れない。
柴田 道場で猪木さんとスパーリングはされました?
武藤 やったよ。
柴田 意外と変な仕掛けをやっちゃったとか。
武藤 そんなことはないけど、まあまあ……。
柴田 まあまあって(笑)。
武藤 スパーリングはやりやすい人ですよ。変に素人だと、やりづらい人もいるじゃないですか。とはいえ、猪木さん、決して運動神経のいい人じゃないんだよね。
柴田 球技やらせたら全然ダメ。武藤さんは何やらせてもいけたというか。
武藤 まあ、俺は運動神経いいから。
柴田 でも、存在とかスター性とかで考えると、武藤さんが猪木さんを一番継いでる気がするんですけど。リング内だけかもしれないけど、発想も常人離れしてるし。卒塔婆(そとば)使ったり。
武藤 ああ、新崎人生とやった時(96年4月29日)。
柴田 猪木戦と並ぶ、僕のムタのベストバウトでしたね。卒塔婆で殴って、折れたのに、人生の血で「死」と書く。こっちの予想以上のことやってくる。プロレス頭がスゲーなーって思いましたよ。
武藤 帰り、交通事故に遭うんじゃねえかと思ったよ。
柴田 あの試合が、ドクロムタの走りでしたよね。試合で使ったアイテムを展示企画とかにできればいいよね。
武藤 新日本辞める時に倉庫にみんな置いてきちゃったよ。で、グレート・ムタの商標権って新日本が持ってんですよ。
柴田 あらら。
武藤 当時、新日本で麻雀が流行ってて、坂口さんと倍賞(鉄夫)さんとかで麻雀やるぞって時に俺、遅刻してったのよ。そしたらむこうはカリカリしてて。「まずこれを書け」っていうのよ。それが商標登録の契約書で。
柴田 わけもわからず。
武藤 値段が75万円だかいくらか必要ってのを会社が払ってくれると。じゃあ、わかりましたって書かされて。ちょうど大仁田(厚)が新日本に出た時かな。
柴田 じゃあ、99年の、ムタvsニタの時ですね(8月28日・神宮球場)。
武藤 で、新日本を辞める時に、そういうムタの道具を倉庫に置いてきちゃって。ところが、しばらくすると、新日本の東京ドーム大会からオファーがきて。これ幸いと、坂口さんに「ちょっとムタの道具返してくれませんか? そしたら出ますので」って言って。
柴田 東京ドームに出る条件で、返してもらったと。全日本の九段下の事務所に飾られてましたよね。
武藤 でも、結局、全部取り返したわけじゃないのよ。
柴田 大切に保管してほしいですね。
※全文の一部分を抜粋。全編は本誌「逆説のプロレス vol.2」にてお楽しみください。
取材◎若瀬佐俊
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「新シリーズ 逆説のプロレス vol.2」(双葉社スーパームック)より引用