天龍源一郎の新日本G1参戦に猪木がキレたワケの画像
天龍源一郎の新日本G1参戦に猪木がキレたワケの画像

ついに今年の11月に行われる両国興行で引退する天龍源一郎が、新日本プロレスG1クライマックス、馬場、猪木から、先日亡くなった盟友、阿修羅・原まで、プロレスの真髄を語りつくす。


■天龍源一郎 てんりゅう・げんいちろう
●1950年、福井県出身。大相撲を経て、76年に全日本プロレスに入団。ファンクス道場で修行をし、テキサス州で行われたテッド・デビアス戦で髷を結ったままデビュー。帰国後は馬場、鶴田に続く3番手のポジションで活躍したが、90年にSWSへ移籍。92年かWAR、98年からフリー、2010年から天龍プロジェクトで活動。三冠ヘビー級王座、IWGPヘビー級王座に輝き、日本人で唯一BI砲からピンフォール勝ちを収めた男でもある。今年の11月15日に両国国技館で引退興行を行う。


オファーしたほうが悪いという気持ちで、新日本ではメチャクチャやった

天龍のG1への2度目の参戦は第14回(2004年)だった。00年には、ノア勢の大量離脱に見舞われた全日本プロレスに電撃復帰していた。この時はA、Bの2ブロックに分かれて各ブロック8人参加のリーグ戦で決勝トーナメント進出枠を争った。

――Aブロックで中邑真輔、ブルー・ウルフ、蝶野正洋、鈴木みのる……4人に勝ち、永田裕志、柴田勝頼、吉江豊に負けています。4勝3敗でAブロック2位。A、B両ブロックから3人ずつ進出する決勝トーナメントに勝ち上がり、佐々木健介を撃破したものの、棚橋弘至にやられました。

天龍 棚橋に負けたの? 外敵はやっぱり息切れしちゃうんだな。続々と新しいヤツが出てくるわけだから。新日本の選手は「自分の団体の大会だから、負けられない」という思いが強いんだろう。外敵の連中は「もうここまで来たから、いいか」「これで負けても、いいかな」って妙な満足感が出るんだよね。他団体の会場では、なにかと疲弊するし。

「G1には魔物が棲んでいる」と言われる。実力者がリーグ戦を突破できなかったり、時のIWGPヘビー級王者が優勝できなかったり、ケガ人が出てしまったり……無事に大会が終了することは稀だった。

天龍 G1はリストアップされて、名前が出ると、その時点で注目を集める。開幕前から盛り上がるうえに、はじまって勝ち上がっていくと、日々、周囲も熱くなってくる。レスラーとして快感があった。若い選手と闘うってのは、自分の気持ちをリフレッシュさせてくれるし、それはそれで楽しかった。

――G1といえば国技館。国技館というと、大相撲からプロレス入りした天龍さんにとって、特別な思いはありますか?

天龍 両国連戦は飽きるな。同じ景色に、しかも真夏。「もういいや」って気持ちのほうが先に立ってしまった。でも、アウェイ感という意味では、新日本一色の観客の中に放り込まれるわけだから。「飲み込まれてたまるか」って乗り込んでいく気構えは持っていた。なにしろ新日本の選手と闘う時は「なにやってもOKだ」という気持ちだったし。気楽だから、メチャクチャやっていた。べつに自分のところの選手じゃないし。「なにがあったって、オファーしたおまえらが悪いんだろ」ってね。

――天龍さんはどこのリングにあがっても拍手と歓声を集めていましたが。

天龍 いや、そうでもなかった。最初はワ~ッとなっても、はじまったら新日本。だからこそ、ことさら楽しかったけど。G1に出て、1週間、2週間の大会を乗り切ったというのは、すごい自信になる。シリーズで転戦に慣れているレスラーにしてみれば、気分転換も難しく、コンディション、テンションを下げないで同じレベルでやっていくのは、なかなか難しいんだよ。

――今年のG1は約4週間の長丁場で日本各地を転戦でした。両国は最後の3連戦。その前には後楽園3連戦でした。

天龍 G1のリングに上がれるだけで、レスラー冥利につきるんだ。出場する選手は自覚して、見にきたお客さんに「チケット代以上の試合をやる」ってのが礼儀ってもんだよ。

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