その8 旭天鵬VS栃煌山(平成24年初場所)

モンゴル力士のパイオニア、旭天鵬が現行制度では初となる平幕同士の優勝決定戦を制し、史上最年長(37歳8か月)の優勝を果たした取組。記録尽くしの一番となったが、この場所、旭天鵬は5日目まで2勝3敗の負け越しだった。

しかも、場所が始まる前、師匠の大島親方(元大関・旭国)が定年退職し、所属する大島部屋は閉鎖。友綱部屋に移籍し、初めて迎えた不安含みの場所だった。だが、6日目から破竹の10連勝。まさかの優勝を成し遂げたのだ。
「当たって、まわしを取られないようにするというシンプルな作戦で、一発勝負に出た旭天鵬が貫禄勝ち。優勝を決めて花道を下がる際、旭天鵬は涙にくれ、迎える付け人や弟弟子が号泣していたシーンが印象的でした。横綱・白鵬らモンゴル勢の兄貴分として、旭天鵬が皆に慕われていたことを、改めて証明してくれました」(武田さん)

勝って流した涙が印象に残った一番だった。

その9 白鵬VS稀勢の里(平成25年夏場所)

白鵬時代に突入後、多くの名勝負を残した2人。取材した専門家もいくつか、2人の取組を挙げている。

たとえば、平成22年九州場所2日目の取組。当時、白鵬は初場所から積み重ねた白星が63個となり、双葉山(元横綱)の69連勝越えも夢ではなかった。
「だが、白鵬戦に特別な執念を見せる稀勢の里(のちに大関)は、張り手で白鵬から冷静さを奪い、土俵下に突き落としました。土俵下に落ちた白鵬の呆然とした表情が忘れられない一番です」(武田さん)

"平成相撲史上最大の金星"と呼ばれる一番だ。この名勝負と甲乙つけがたかったが、本誌が「白鵬・稀勢の里」のベストバウトに選んだのが、平成25年夏場所14日目の取組。横綱(白鵬)と大関(稀勢の里)の両者が優勝を争い、全勝同士で迎えたこの日。

まずは稀勢の里が差し勝つ形で左四つに組み、さらに稀勢の里が右上手を取って十分な体勢になった。
「その後も、稀勢の里の寄りに右足が崩れかかった白鵬ですが、執念のすくい投げで制したんです。千秋楽には稀勢の里が敗れ、結果、全勝で白鵬の25回目の優勝が決まりました。かつて稀勢の里には連勝を止められているだけに、白鵬の勝負への執念を感じた一番でした」(長山氏)

その10 高安VS里山(平成26年初場所)

ラストは、やく氏が「僕の中でベストバウト」という取組で締めくくろう。

「それまでは、昭和46年九州場所の三重ノ海-黒姫山戦がベストでしたが、40年以上経って、ベストバウトが塗り替えられました」
ちなみに、三重ノ海(当時小結=のちに横綱)と黒姫山(当時平幕=最高位は関脇)は、30秒ほどの短い相撲の末、三重ノ海が寄り切って勝ったものの、両者とも流血する惨事に。

さて、その"血染めの一戦"を上回る取組とはどのようなものか。この場所で久しぶりに幕内に返り咲いた里山(現・十両)は健闘。
12日目には栃乃若相手に一本背負いという大技を決め、決まり手がアナウンスされると、館内はどよめいた。その活躍もあって、千秋楽、勝てば、初の幕内勝ち越しと技能賞が手に入る。

本人いわく、初めて「神様にお祈りして」迎えたという高安(現平幕)戦。2分を越える大相撲の末、頭をつけて高安を突き倒す。軍配は里山にあがった。
「勝った瞬間、里山の口の動きから"ヤッター!"と言っているのが分かりました。ところが、物言いがつき、里山が高安のマゲをつかんでいたとして反則負けになったんです。歓喜の瞬間から一転して奈落の底へ突き落され、そのときの里山の悲しそうな顔が忘れられません。これほど失うものが多い敗北があったでしょうか……」(やく氏)

敗者の無念さが滲み出る、ほろ苦い名勝負だった。

本誌が選びに選んだ"伝説の取組"、いかがだったろうか? これからも、永年にわたって語り継がれる一番が生まれることを願いたい。

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