「かつての巨人のエースが、2軍選手の球拾いやボールを拭いたりバットを揃えたりするんですから、そりゃ抵抗があったと思いますよ。それでも“これしかない”と踏ん切りをつけて、裏方に徹したんです。選手にはいかに気持ちよくプレーしてもらうか、それだけを考えていたといいます」(横浜担当記者) 缶コーヒーのCMにも出演し、用具係としての仕事ぶりが認められた入来は、今年からソフトバンクの3軍投手コーチに就任。就任会見時には涙を拭い、念願の現場復帰を果たしている。

 入来と同じように、打撃投手として汗を流しているのが、元阪神の久保田智之(34)だ。02年に阪神に入団すると、「超人ハルク」と称されたその強靭な体から繰り出される150キロ台のストレートを武器に、05年からは藤川球児、ジェフ・ウィリアムスとともに「JFK」を形成し、守護神となった。「07年に90試合に登板して、NPBの最多登板記録を更新するなど、鉄腕ぶりを発揮しました。本当にタフで、いくらブルペンで投げても使い減りしなかったんです」(阪神担当記者)

 ところが目に見えない疲れがあったのか、このシーズンがキャリアハイとなり、以降は成績が悪化。右ひじを故障した影響もあり、14年に引退し、打撃投手として阪神に残った。「荒れ球が持ち味でしたから、今はかなり苦労していますよ。ワンバウンドするボールもよく見ますね。現役時はトルネード投法でしたが、フォームを変えて制球難の改善に取り組んでいます」(前同) やはり、ひと口に打撃投手といっても簡単ではないようだ。それでも、選手たちからは「球に勢いがあって、練習になる」と、声が上がっているという。“唯一無二の打撃投手”として、チームを支えていくはずだ。

 もう一人、15年シーズンから巨人の打撃投手を務めているのが、ヤクルトなどで活躍した藤井秀悟(38)。99年にドラフト2位でヤクルトに入団すると、2年目には最多勝を獲得し、最優秀投手にも選ばれる。記録も素晴らしいが、記憶にも残る投手だった。「01年、巨人との試合で事件が起きました。大量リードで勝っていた9回、打席に入った藤井はショートゴロで全力疾走。すると、暗黙のルールを破ったと、巨人ベンチから強烈な野次を飛ばされ、藤井はマウンド上で泣いてしまったんです。制球を乱し、降板してしまいました」(前出のスポーツ紙記者)

 それ以降も、サッカーの日韓W杯の日本対ベルギー戦を観戦した後に風邪を引いて登板回避をしたり、中日のタイロン・ウッズから右フックを食らったりと、話題に事欠かなかった。「その後は、日本ハム、巨人、DeNAと渡り歩き、今季から巨人の打撃投手となりました。制球力がある左腕なので、重宝されていますよ」(前同) ちなみに藤井の現役時代の最高年俸は8900万円(推定)。打撃投手の年収となると、500~800万円程度と、現役時代の10分の1だが、やはり野球からは離れられないようだ。

 15年シーズン、14年ぶりにセ・リーグを制したヤクルト。1軍マネージャーとして人知れず貢献していたのが、04年の新人王・川島亮(34)。「川島もケガに泣いた一人です。右肩痛がなければ、もっと活躍できた逸材でした」(スポーツ紙デスク) そんな川島が務める1軍マネージャーとは、どういう仕事内容なのか。「遠征先のホテルや新幹線のチケットを手配するのはもちろん、部屋割りや席順を決めたりもします。選手によって角部屋がいいとか、窓側がいいとか様々な要望があるので、それを全部考えないといけないから、気苦労が多い仕事だと言えますね」(プロ野球関係者) 川島の存在も優勝の原動力となっていたのだ。

 ここまで投手を見てきたが、野手はどうだろうか。「野手だったら断トツで捕手が食いっぱぐれがないですよ。最悪でも、ブルペン捕手として採用されることもありますから」(前出のスポーツ紙記者) チームに必ずいるブルペン捕手。過去にロッテの杉山俊介のように、ブルペン捕手から現役復帰を果たした例もある。それだけ捕手は人材が不足し、特殊なポジションなのだ。グラウンドにおける監督的な役割でもあることから、引退後は野村克也、森祇晶など数多くの名監督も生まれている。

 オリックスの正捕手として活躍していた日高剛(38)も、その観察眼の鋭さから、引退した昨年、阪神のスカウトに就任した。「捕手は打者を隅から隅まで観察しますから、スカウトになっても、その経験は生きるでしょう。日高は、引退してすぐにパソコン教室に通ったんです。今やスカウトもノートパソコンが必須。データをまとめて、スカウト同士で共有しなければいけないですから」(前同) 正捕手不在に悩んでいる阪神だけに、今後は、日高の眼力が重要になっていきそうだ。

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