さて、そんな国民的長寿番組の『笑点』だが、そもそもは落語家の立川談志師匠(2011年逝去)が司会を担当して好評だった『金曜夜席』を前身として始まった。第1回放送は1966年5月15日だった。現在『笑点』大喜利のレギュラーを務めているのは、年齢順に歌丸、林家木久扇(78)、三遊亭好楽(69)、三遊亭小遊三(67)、三遊亭円楽(65)、春風亭昇太(56)、林家たい平(51)の7人だ。落語に関する著作も多い作家の吉川潮氏は、『笑点』が長続きしている理由を、こう指摘する。「いい意味でのマンネリの魅力でしょうね。たとえて言うなら『水戸黄門』。展開や筋書きはほぼ分かっているけど、だからこそ安心して見ていられるという。また『大喜利』のメンバーに落語の与太郎や熊さん、八つぁん、ご隠居や若旦那を当てはめて、今でいうキャラづけをして分かりやすくしたのも成功の要因」

 二番目の木久扇は番組では“与太郎キャラ”だが、実像は、絵本の執筆からラーメンまで手がける切れ者で、プライベートではお洒落と、もっぱらだ。さらに、落語協会で相談役を務める木久扇が男を上げたエピソードがある。「11年に東日本大震災が起きて自粛ムードが蔓延し、各地の落語会も中止が相次ぐ中、木久扇師匠は“こんなときこそ、我々は落語で日本を元気にしなきゃいけない。誰もやらないならアタシがやる!”と、協会の役員会で熱弁を振るったんです」(落語協会所属の若手落語家)

 その熱意が奏功し、2か月にわたる『復興支援寄席』なる慈善落語会が実現。大御所を格安の入場料で見られるとあって、会は大盛況だったが、「ただ、木久扇師匠に実務を任せるのは役員会も不安があったようで(笑)、結局、三遊亭円丈師匠が実務を押しつけられる格好になりました(笑)」(前同) ちゃんとオチをつけるあたりは、さすが!

 一方“泥棒キャラ”で知られるのが三遊亭小遊三。もちろん、人相からの連想で、本人の手クセが悪いわけでは決してない(はず)。「卓球名人の小遊三師匠は64年の東京五輪と98年の長野五輪で聖火ランナーを務めたスポーツマン。若手の頃に好楽師匠の実家に居候していたのも、何かの因縁でしょう」(放送関係者)

 “腹黒キャラ”の三遊亭円楽は、大喜利メンバーとしては木久扇に次ぐ古参だ。「次の大喜利の司会は、この人と目されるだけあって、歌丸師匠の勇退を心待ちにしている……という話があれば面白いんですが、実際はとても仲良し」(前同) “若旦那キャラ”の好楽は、かつては木久扇と同じく林家彦六(先代正蔵)一門だったが、彦六師匠の没後、五代目円楽一門会に移籍。「本人にはたくさんお弟子さんがいますが、実子の王楽さんは、あえて先代の円楽師匠に預けて修業させています」(同)

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