「当時の横浜は、キャッチャーとサードを結ぶ三本間のライン上を一直線に走って、相手の送球ミスを誘発するという練習をやっていた。同点に追いついたPL戦での、あのプレーは確信犯でもあったんです。一方、それを知ったPLは、“同じ手は二度と食わない”とばかりに、これを阻止するための練習を夏までに徹底してやった。その甲斐もあって、夏の5回裏に訪れた同じ場面では、PLが見事にブロックを決めることになりました」

 あとになって知る当時の球児たちの思いが、球史に残る熱戦をより熱くしてくれているというのも、偽らざる真実だろう。「あとで知って驚いたってところでは、04年の準々決勝。“メガネッシュ”こと真壁(賢守)君が、この年のドラフトで阪神に入った高橋(勇丞)君に逆転サヨナラ3ランを打たれた済美と東北の一戦も、かなり印象深い試合です。あの試合、高橋君は変化球にまったくタイミングが合っていなかったのに、真壁君は最後にストレートを投げて打たれている。僕は、それがずっと腑に落ちなかったんですよ」

 松坂世代に負けず劣らずの逸材がそろった04年。1回戦・熊本工戦でノーヒットノーランをやってのけたダルビッシュ有(現・レンジャーズ)を擁する東北は、この日も9回裏まで4点リードと盤石の試合運びをしているかと思われた。だが、2死一、二塁、2ストライクと追い込んだ場面で、マウンドの真壁が投じたストレートは、外に構えたキャッチャーの意に反して真ん中へ。これが、登板を回避してレフトの守備に就いていたダルビッシュの頭上を越える劇的なサヨナラ弾となってしまう。

「数年前に、僕のラジオで真壁君本人にそのときの真相を聞いたことがありますけど、なんでもあの試合の序盤で彼は自己最速を更新していたみたいですね。サイドスローで140キロ台後半といったら、他のチームなら大エース。だからこそ、最後は“今日一番のストレート”を投げたんだと。ちなみに、あのときレフトにいたダルは“俺は、いつでも行けるで”って感じで、ずっとシャドウをやっていて、実際、ベンチの若生(正廣=現・埼玉栄監督)さんも次の鵜久森(淳志=現・ヤクルト)まで回ったら代えるつもりでいたみたいです。決断するタイミングがあと1人早かったら、また違った結末が待っていたかもしれませんね」

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