「僕らは後半に強かったんです。どんな投手でも、100球を超えたら打てた。だけど、古川君は130球を超えても打てない。焦りはありましたね」(井坂氏)

 試合は戦前の予想を覆し、延長戦に突入する。名電はサヨナラのチャンスで決めきれない。「10回と12回に連打でチャンスを作るんですが、打撃がダメな十亀に回っていたんです」(井坂氏)

 チャンスをつぶして迎えた13回表、清峰は二死ながら二、三塁のチャンスを作る。打席には9番の古川。「古川君は、打撃はからっきしだった。だから、心の中では“安パイ”だと思っていて、ストライクを取りにいった球をセンター前に打たれてしまった。悔いが残る一球でした」

 エースが打ち、流れは完全に清峰。反撃もできずに2-4で名電は敗れた。「監督が作った言葉に“全勝せんとすればできず1勝にかける者自ずから全勝に至る”というものがあるんです。まさに、この言葉通りでしたね」(井坂氏)

 何が起きるか分からない。それが甲子園なのだ。

 第95回大会(13年)で旋風を巻き起こしたのが、日大山形だった。奥村展征(ヤクルト)を擁し、強力打線を武器に山形大会を勝ち抜いたものの、大会前のスポーツ紙の評価はオールB。そんな日大山形の初戦(2回戦)の相手は、優勝経験のある“オールA”日大三(西東京)に決まった。

 日大山形の5番を打っていた吉岡佑晟氏に、4年前の一戦について話を聞いた。「正直、“そこか……”と思いましたけど、春に日大三と練習試合をして負けていたから、“リベンジマッチだ”と切り替えていました」

 それまで山形県勢は7年連続で初戦敗退。ネームバリューだけで日大三有利と見る向きも少なくなかった。「試合前に(荒木準也)監督から、“勝てると思っているのは、俺たちと俺たちの親だけだ。ひっくり返してやろう”と言われて、燃えました」(吉岡氏)

 その言葉通り、試合は1回表に日大山形が先制攻撃。「相手の投手のエラーで出塁して、4番の奥村が2ランを打ったのが大きかったですね」(吉岡氏)

 だが、その裏、日大三は2番の稲見優樹のソロホームランで1点を返し、さらに満塁のチャンスを作る。「このピンチを日大山形は抑えた。試合後に小倉全由監督が“初回に勝ちこさないといけない”と話したように、この回の攻防が勝敗を分けました」(手束氏)

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