「生霊」とは、どんなもの!?

 ところで、そもそも生霊とは一体なんなのだろうか? 辞書では、以下のように定義されている。

【生霊】「生きている人の恨みや執念が怨霊となって人にたたるもの。いきすだま」(デジタル大辞林 第三版)

【生霊】「生者の霊をいい,死霊とともに憑依霊の一つと考えられている。怨念をもって他者の肉体に憑依し,死にいたらしめることさえあると考えられ,祈祷師の呪術によるほかは逃れる法はないとされた。生魑魅(いきすだま)もこれと同じものである。この生霊と比べられるものに生御霊(いきみたま)があるが,これは生霊のように異常なものではなく,人間の本来もつ魂がそれであると考えられ,生者の霊を祀りその長寿を祈る生き盆の民俗行事が生れた。現在でも南西日本の山村などで生霊の信仰が存続している」(ブリタニカ国際大百科事典)

【生霊】「人に憑(つ)く人間霊のうち、生きた人の霊。これに対し死霊は、死者の霊が憑くことをいう。憑き物現象の憑依(ひょうい)霊の一種。ある人が、友人などに対し、ねたみ、そねみ、恨み、憎しみなどの激しい感情をもっていると、その人の霊は肉体から遊離して相手に取り憑いて苦しめ、ときには殺すこともできると考えられていた」(日本大百科全書)

 基本的に、「生きている人間の霊」が、「生霊」の概念だといえるだろう。

生霊と普通の霊との違いは?

 生霊をもっと知るには、それを包括する概念である「霊魂」の定義を知る必要がある。辞書には以下のように定義されている。

●霊魂の定義

【霊魂】「その人が生きている間はその体内にあってその人の精神を支配し、死後も存在しいろいろな働きをなすと考えられるもの」(新明解国語辞典第二版)

【霊魂】「肉体と別に、それだけで一つの実体をもち、肉体から遊離したり、死後も存続することが可能と考えられている非物質的な存在。魂。魂魄 (こんぱく) 」「人間の身体内に宿り、精神的活動の根源・原動力として考えられる存在」(デジタル大辞泉)

【霊魂】「肉体と独立に人間の精神的・生理的諸活動を支配しかつその原動力と考えられている精神的実体。英語のsoul、spiritに相当。未開民族は夢・幻・死などから、肉体とは別の霊的存在を信じ、それは自由に肉体を遊離・出入し得るとする」(百科事典マイペディア)

日本の古い文献に残る「生霊」の記述

 現代に残る古い文献の中には、「生霊」についての記述がしばしば見られる。中でも代表的なものをいくつか紹介したい。

●『源氏物語』

 紫式部が平安時代中期に書いたとされる『源氏物語』には、六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ、ろくじょうみやすどころ)という人物が登場する。光源氏の初期の恋人の一人だが、教養、知性、身分に優れプライドの高い御息所を、源氏は次第に持て余すようになる。御息所は源氏にのめり込んで独占したいと願いながら、プライドの高さゆえに素直な態度を見せることができず、生霊となって、光源氏の正妻である葵の上を苦しめる。

●『今昔物語集』

 平安時代末期に成立した説話集。二十七巻の二十話で、近江国(現在の滋賀県)の女が民部大夫(現在の官僚にあたる身分)に離婚され、生霊が京(現在の京都府)まで行って取り殺した、という話が紹介されている。

●『平家物語』

『平家物語全集』などには収録されていないが、読み物系の異本『屋代本』に生霊の話が収録されている。とある公卿の娘が深い妬みにとらわれ、貴船神社に7日間籠もって貴船大明神に「私を生きながら鬼神に変えてほしい。妬ましい女を取り殺したい」と祈った。大明神は「鬼になりたければ、姿を変えて宇治川に21日間浸れ」と告げた。女は髪を5本の角のように分け、顔と体を赤く塗り、逆さにした鉄輪の三本脚につけた松明を燃やして頭にかぶり、両端を燃やした松明を口にくわえ、21日間宇治川に浸った。そして、生きながら鬼になった。これが「宇治の橋姫」だ。橋姫は妬んでいた女だけでなく、女の縁者、男の親類だけでなく、誰彼かまわずに次々と殺害。源頼光の四天王の一人、源綱も襲われかけたが、名刀「髭切」で、鬼となった橋姫の腕を断ち切った。そして、その腕を見た源頼光に相談された陰陽師の安倍晴明が、鬼の腕を封印した。

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