上野動物園、繁殖成功以外の“日本初”とは?【雑学クイズ】の画像
上野動物園、繁殖成功以外の“日本初”とは?【雑学クイズ】の画像

 レジャーシーズンが本格到来。そこで今回は、ジャイアントパンダの「シャンシャン」で話題を呼ぶ都内屈指のレジャースポット・上野動物園にまつわる問題をお届けします。(文中敬称略)

【Q1】トントンに関するエピソードは?

「上野動物園」に初めてジャイアントパンダ(以下・パンダ)がやってきたのは、1972(昭和47)年10月のことです。オスのカンカン、メスのランランは、瞬く間に国民的な人気者となりました。ランランが7年後の79年に死ぬと、翌年1月にメスのホァンホァンが来園。ところが、約半年後に今度はカンカンが死亡します。新たにオスのフェイフェイがやってくるのは82年11月のことです。フェイフェイとホァンホァンは、上野動物園で最初に子作りに成功したパンダのカップルで、第一子の誕生は85年6月のこと。ところが、生まれた赤ちゃんは、わずが43時間で死んでしまいます。

 そして、約1年後、フェイフェイとホァンホァンの間に第二子が誕生します。待望の上野で生まれたパンダは、公募により「トントン」と命名されます。さて、このトントンにまつわるエピソードで、正しくないのは次のどれ?

  • (1)黒い毛が生えている部分が他と微妙に違った
  • (2)繁殖のためにメキシコに3度も渡った
  • (3)長らくオスだと思われていたが実はメスだった

【Q2】クロヒョウ脱走事件の後日談とは?

 1936年(昭和11年)7月25日に、上野動物園の歴史に残る大きな騒動が起きています。早朝、メスのクロヒョウが1頭、脱走したのです。動物園からの通報を受け、当時警視庁内に組織されていた特別警備隊が出動します。さらに猟友会、警防団のメンバーなども加わり、総勢700名によるクロヒョウ探しが展開されました。動物園は臨時休園となり、上野公園への一般市民の立入りは禁止に。周辺住民は恐怖に震えました。

 午後2時半過ぎ、東京府美術館(現・東京都美術館)近くのマンホール内の暗闇の中で、2つの光る目が発見されます。周到な準備のうえで燻り出し作戦が実行され、発見から3時間後にクロヒョウは無傷で捕獲されました。実は、この一件には後日談があります。正しいのは次のどれ?

  • (1)逃げたクロヒョウはマンホール内で出産していた
  • (2)この件を描いた映画が作られ大ヒットした
  • (3)数日後に、今度は別の動物が逃げた

【Q3】動物の繁殖以外にもある日本初とは?

 上野動物園は1882(明治15)年3月20日に開園された日本で最初の動物園です。それだけに、“日本初”の繁殖成功実績が数多くあります。たとえばパンダ以外にも、キリン、カバ、オランウータン、ジャガーといった具合です。一方で、動物の繁殖以外にも、上野動物園には“日本初”があります。正しいのは次のどれ?

  • (1)園内に日本初の常設モノレールがある
  • (2)日本初の女性園長を生んだ動物園である
  • (3)鉄道駅に先んじて日本で初めて自動改札を導入した
●A答え 出題/小泉珍事郎 ■Q1=2【解説】通常、パンダのシッポの毛は白いのですが、トントンのシッポには黒い毛がありました。また、パンダの性別は判別がしづらく、4歳までオスだと思われていました。2は92年来園のリンリンの逸話です。 ■Q2=3【解説】事件から5日後にシカが脱走。上野公園を走り抜けたシカは、居合わせた人々に取り押さえられたといいます。 ■Q3=1【解説】西園と東園を結ぶ「上野懸垂線」の開通は1957(昭和32)年12月です。なお現在、東京23区内を走るモノレールは、これと浜松町と羽田空港を結ぶ「東京モノレール」の2つしかありません。

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