坂井宏行
坂井宏行

 今年で76歳、調理師になって50年ですね。見習いの頃は、辛かったね。でも、辛いと思えば、生きていることも辛くなっちゃう。“今に見ていろ!”という反骨精神がないと、料理人の仕事は半端じゃなくキツイですから。

 あの頃は朝早くから17、18時間、働いていましたよ。銀座の『四季』という超高級店のオープ二ングのときは、3日徹夜しました。家に帰れない。風呂には入れない。辞めたいとよく思ったけど、行くところがないの。とにかく、しがみつくしかなかったんです。

『四季』で働いていた頃の師匠は志度藤雄さん。伝説の料理人といわれていた人です。海外で料理を学ぼうと修行に行こうとするけど、自由に海外へ行くことができない時代だったから、密航で捕まる。それでも、また料理を勉強しようと、密航をしようとして、何度も捕まったみたいですよ。彼の本『一料理人として』をボロボロになるまで読みましたよ。

 僕らには厳しかったな。お客さんに料理を出すときに、必ずチェックする。これじゃ、客から金を取れねぇだろうと怒られる。あの頃はふんだんに食材を使えたんです。今は原価のことを考えるから、できないね。いい時代に修行させてもらえた。

 お前なんかいらねぇよ、代わりなんていくらでもいるよと言われる時代でしたからね。師匠や先輩によく思われたくて、鍋を徹底的に磨きました。ピカピカになるまで。あの頃は、鍋が銅だった。石炭の灰で磨いていたんです。へちまにつけてね。銅だから重いの。あのとき、師匠たちをくそ親父と思ったら、ここまで来られなかったんじゃないかな。

 正直、逃げだそうと思ったこともありましたよ。でも、料理人をすると、賄いがついて回るんです。日本中、ひもじい時代。お腹いっぱい食べられるだけでも、ハッピーだった。それが、続けることができたいちばんの理由じゃないですかね。料理人になってよかったなとつくづく思いましたよ。

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