氷室京介が初恋の人に!?「オレたちのBOOWY」マニアが語り倒す激アツ座談会の画像
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 俺たちの人生を決定づけたと言っても過言ではない、最強のバンド――。解散から30年、語り尽くせぬ想いを熱烈ファン3人に語っていただこう!!

 今でも「伝説」と語り継がれる夜がある――。30年前、1988年4月4、5日の2日間。完成から間もない東京ドームで行われた、ロックバンド・BOOWYの解散ライブ「LAST GIGS」のことだ。「群馬県出身の氷室京介布袋寅泰らを擁するBOOWYは1981年(最初期の表記は『暴威』)、まだ歌謡曲の勢力が強い日本の音楽界に、逆立てた髪と真っ黒な衣装で殴り込み。『ONLY YOU』などのヒット曲で以後のバンドブームに多大な影響を与え、日本のロックを覚醒させました」(音楽誌編集者)

 しかし、人気絶頂の87年末に突如解散を発表。翌4月に冒頭のLAST GIGSを行い、それ以降、一度として再活動していない。本誌は、そんなBOOWYを愛する3人のファンを、LAST GIGSから30年目の夜に聖地・東京ドームの近くの飲み屋に召集。それぞれのBOOWY愛を語り倒してもらった。

音楽ライターA(51・東京都出身)あれから、もう30年かあ……。

会社経営B(45・群馬県出身)Aさんは実際に「LAST GIGS」に行ったんですよね? 羨ましいなあ。

A 行きましたよ~。あのときは、みんながプレイガイドに電話をかけまくって、文京区の電話回線がパンクしたんだよね。

B すごい時代だなあ。

A 僕は「暴威」から改名する直前、たまたま、先輩に連れて行ってもらったライブでファンになってね。

会社員C(32・神奈川県出身)もしや、81年5月11日の伝説の初ライブですか? お客が13人しかいなかったっていう……。

A リアルタイム世代じゃないのに、日付まで詳しいね(笑)。さすがにそれじゃなく、11月くらいだったな。場所は同じ新宿ロフトで。僕は世田谷育ちなんだけど、当時の世田谷は本当に荒れてて、イジメと不良や校内暴力が共存してる中学だった。僕は、イジメから身を守るために不良のパシリをやってて(笑)。そんな中、悪い先輩に「暴威ってバンドがスゲーから、お前らも来いよ」って言われて、ライブに連れてかれて。名前からして暴走族みたいなバンドなのかと思ったら、学生みたいな6人組が出てきた。

B 当時はサックスもいたんですよね。まことさん(ドラムの高橋まこと)も、まだ観客だった頃だ。

A ヒムロック(氷室の愛称)は目尻にシャドウを入れてたけど、まだ、シャツにスラックスとかだった気がするな。それでハードな縦ノリロックをやるもんで、もう、しびれちゃって。

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