■負けても立ち上がる一発屋の皆さんの姿を知っていただきたい

 ただ、ブームは長くは続かず、気づいたときには、世の中からは「消えた」「死んだ」「面白くない」という、非常に雑な扱いをされるようになってしまった。

 一発屋芸人というのは、世間の皆さんにとっては、人生の節目節目で、「あのとき、あのギャグはやっていたな」っていう人生のしおり、ポストイット的な役割でもあると思うんです。でも、だからといって、その扱いはあまりにも寂しいんじゃないかという悔しい思い、言ってみたら僕の私怨が、今回の「一発屋芸人列伝」を書くモチベーションでしたね。

 取材をさせていただいたのは、レイザーラモンHGさん、コウメ太夫さん、テツandトモさん、波田陽区さんなど、10組の一発屋芸人の皆さん。僕はもちろん、あのとき、こうしておけば、ああしておけばっていう気持ちもありつつ、そういう自分のダメなところや失敗を、ゴクリと飲み込み、今も芸人であり続け、ルネッサンス(再生、復活)に向け、次の一手を仕込んでいる人たちです。

 たまにテレビに呼ばれると、過去の最高月収と現在の収入を告白させられ、「えぇ~」みたいに驚かれる、そんな役割だけじゃなくて、ブームが去っても続く人生を懸命に生きる一発屋の真の姿を知っていただきたいと思い、書かせていただきました。

 芸人が芸人のことを「こんなにすごいんやで」と声高に解説しているようにも見えてしまうことに、気恥ずかしさや、クソダサいなと思うこともあったんですが、負けても立ち上がる一発屋の皆さんの姿に、どこか自分の人生を重ね合わせて読んでくださる方もたくさんいらっしゃるようで、そういう感想を聞くと、ホンマにうれしいですね。

 ちなみに僕ら髭男爵は現在、地方営業に勤しむ日々です。

 そんな中、僕はこうして執筆業でも褒めていただけるようになり、相方のひぐち君は、15年にワインエキスパートの資格を取得して、ワイン関連の仕事もチョロチョロ入り出しているみたいです。“お笑いちゃうんかい!”という思いも、なくはないですが、そうやって、できることをやりながら年を重ねていって、70歳、80歳になっても、地方営業で「ルネッサ~ンス!」って、やっていたら、おもろいなと思っています。

山田ルイ53世
1975年、兵庫県生まれ。お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。地元の名門・六甲学院中学に進学後、引きこもりになり、中退。大検合格を経て、愛媛大学に入学するも、中退して上京。お笑い芸人の道を歩み、「ルネッサ~ンス!」のギャグで人気を博す。『新潮45』で連載した「一発屋芸人列伝」が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞し、話題に。

あわせて読む:
・田村淳『ロンドンハーツ』深夜枠移行のウラにある“事情”
・石原裕次郎、高倉健、ビートたけし…「昭和のアウトロー」豪快伝説
・“野沢直子の態度”に、西川貴教ドン引き! 音楽ファンからは批判殺到!?

  1. 1
  2. 2