森高千里は現在に連なる「美脚&コスプレアイドル」の元祖!の画像
※画像は森高千里のシングル『ザ・ストレス』より

80年代アイドル美女黄金白書
第3回 森高千里

 懐かしのアイドルたちの魅力を再検証するこの連載。第3回は森高千里(49)を取り上げたい。

 2000年代以降、美脚やコスプレをを売りに活動しているアイドルも珍しくないが、元祖美脚&コスプレアイドルといえば、森高をおいて他にいない。

 スレスレのミニスカートから伸びる、スラリとした白い脚はもはや伝説となっている。

 その歌手デビューは87年。当初はボロボロのジーンズ上下を着て、パーカッションを叩きながら歌うという、ロックミュージシャン風のビジュアルだった。だが、この路線は多くのファンをつかむには至らなかった。

 その人気が爆発するのは、約2年後のことだ。88年11月、自らの作詞によるシングル『ザ・ストレス』で大幅路線変更を断行。エロチックなウェートレスのコスプレを披露するのだ。

 画期的な美脚&コスプレアイドルの誕生だった。

「いまでは当たり前となっているアイドルのコスプレですが、当時は実に衝撃的でした。それにあの細くて肉づきのいい脚でしょ。ついつい視線が下半身にいってしまいましたね」(アイドル誌記者)

 10代の少女が社会のストレスを歌うという歌詞の斬新さも受け、一気に注目を浴びことになる。

 そして、決定打となるのが、次のシングル『17才』。往年のアイドル、南沙織のカバー曲である。

 この曲をまたもミニスカ衣装で歌い、世の美脚フェチたちの目を釘づけにした。メディア露出も一気に増え、中高生はもちろん、南沙織に熱狂した世代のオヤジたちまで「森高千里、いいじゃん」という認識を持つようになっていった。

 楽曲のユニークさ、洗練されたパフォーマンス、そして清潔感のあるお色気。これらを売り物に、森高は一躍トップアイドルの座を築いていく。

 88年にリリースしたビデオクリップ集のタイトルもインパクト大。そのものズバリ『見て』。

 それは、世の男性に対する、なんとも彼女らしい、ストレートな殺し文句だった。ありがたい美脚を拝めるこの作品が、バカ売れしたのはいうまでもない。

「見られる快感を知っていたというか、自分の商品価値が分かっていた。セルフプロデュース力が見事でしたね。ですが、本人はいたって真面目な性格で、ビッチな印象がまったくない。だから、幅広い層に支持されたんでしょう」(音楽関係者)

 90年代に入ると、アイドルブームは終焉。多くの80年代アイドルたちが第一線から退いていった。だが、新曲をリリースするたびに、なんらかの話題を提供する森高人気は衰えず。ファンは、毎回彼女が披露する大胆なコスプレ衣装をなによりの楽しみにした。そして、『私がオバさんになっても』、『渡良瀬橋』などヒットを連発。その歌詞の世界は女性の共感も呼んだ。

 また、一方で数多くのCMにも出演。一時は、CMクイーン的な存在として君臨した。

「エッチな雰囲気もあるのに、女性からも反感も買わない。こうしたタレントは珍しかった。広告代理店が彼女を放っておくわけがありません」(広告関係者)

 まさに人気絶頂。この時代の森高は「恋人にしたいアイドル」、「抱きたい女性タレント」などのランキングで上位の常連として君臨した。

 間違いなく「いい女、日本代表」の一人だった。

 ところが95年、ファンを悲しませる出来事が起こる。3歳年上の俳優・江口洋介との交際発覚である(99年に結婚)。人も羨むお似合いの美男美女カップル。ファンは涙を飲むしかなかった。

 99年末に産休に入ってからは、育児に専念するため歌手活動を休止。その後、子どもの成長に伴い、ステージにも本格復帰。歌番組の司会者としても活躍している。

「美貌も体型も昔のまま。そこに人妻の色気が加わっています。クリーンなイメージもあり、キレイなママとしてCMや雑誌でも重宝されている。CMに出演している各企業の受けもいい」(前出音楽関係者)

 かつて、『私がおばさんになっても』と歌っていた森高。49歳は立派なおばさんだが、いい女っぷりは変わらず。

 50代を迎えても、これまで通りのパフォーマンスを期待したい。

80年代アイドル美女黄金白書

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