中森明菜“悲劇の歌姫”は80年代から現在をどう走り抜いたかの画像
※画像は中森明菜のシングル『少女A』より

80年代アイドル美女黄金白書
第2回 中森明菜

 今回取り上げるのは、“悲劇の歌姫”中森明菜(53)だ。

 松田聖子(56)が、“ポスト百恵”の地位を築いたのは80年のこと。明菜はその2年後にデビューしている。山口百恵に憧れ芸能界入りを夢見た明菜は、オーディション番組『スター誕生!』への3度目の挑戦で、ガラスの靴を手にした。

 キャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」。当初は、その後のパブリックイメージとは、かけ離れた売り出し方をされていた。

 転機となるのは2曲目の『少女A』だ。デビュー曲『スローモーション』から一転したツッパリ路線が見事にハマり、初のトップ10入りを果たすのだ。さらには3曲目の『セカンド・ラブ』は『ザ・ベストテン』(TBS系)で8週連続1位となる大ヒットを記録。明菜は、小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美ら同期のライバルたちを引き離し、一気にスターダムにのし上がる。それは、もう一人の“ポスト百恵”の誕生だった。

 ここからの6年間は、栄光の時代だ。シングルはすべて大ヒット。聖子が結婚、出産で休業中の85〜86年には、女性ソロ歌手初の2年連続レコード大賞受賞。アイドル界の女王として君臨した。

 10代の頃から大人びていた明菜だが、20代になると、濃厚な大人の色気を漂わせるようになった。その真骨頂ともいえたのが、88年5月に発売したシングル『TATTOO』。この曲で、スパンコールをあしらったボディコン&ミニスカの大胆衣装に挑戦。胸の谷間や太ももを露出させ、挑発的、扇情的な振付でそれまでとは違った一面を見せた。

「83年の写真集ではムチムチの水着姿を披露しています。ですが、その後は露出が控え目だっただけに衝撃でした。あの成熟した色気は、女として満たされていた証拠なのかもしれません」(芸能誌記者)

 女王時代の彼女を語る上で欠かすことが出来ないのが、84年頃から続く近藤真彦との熱愛である。トップアイドル同士の恋。それは、公然の秘密となった。

 この交際で一儲けを企んだ大人たちもいた。85年の映画『愛・旅立ち』は、噂のビッグカップル、明菜とマッチの共演作。その宣伝コピーは「噂の映画、命いっぱい恋をします」。狙いが見え見えだった。ちなみに、この作品は単なるラブストーリーではなく、『大霊界』の丹波哲郎も出演した超常現象をモチーフとした内容で、今ではカルト映画の扱いになっている。

 その後も2人の関係は長く続いた。だが、そこに悲劇的結末が待っていた。

「山口百恵のような、引退→結婚という道を望んだという明菜と、レーサー活動に軸足を移していた近藤との間に亀裂が生じ始めた。また、当時の明菜は家族のトラブルも抱えており精神的に参っていたようです」(スポーツ紙記者)

 89年7月。あまりに衝撃的な近藤宅での自殺未遂騒動。これで明菜は多くのものを失うことになる。その後、大晦日に『NHK紅白歌合戦』の裏で、近藤同席による釈明会見が行われる。ここで近藤は「結婚はない」ときっぱり。2人のロマンスにピリオドが打たれた。

 約1年の休養期間を経て、90年夏の復活シングル『Dear Friend』が大ヒット。92年には初の連続テレビドラマ『素顔のままで』が高視聴率を記録。見事に表舞台へカムバックに成功する。女優活動も盛んになる。あの『古畑任三郎』シリーズ(フジテレビ系)、第一話の犯人役は明菜なのだ。

 だが、それと前後して所属事務所との確執が発覚。本人の鼻っ柱の強い部分のみがクローズアップされ、バッシングの対象となってしまう。一連のトラブルには、恋人兼マネージャー的な人物の存在が背景にある、とも報道された。その頃からCD売上もダウン。もはや“過去の人”の烙印を押されつつあった。

 また、同時期にデビューしたアイドルたちが次々に結婚、出産を経験する中、明菜は独身を貫いた。そして、地道に歌い続けた。2000年代に入って、個人事務所を設立。活動基盤を整えた。02年にはカバーアルバム『-ZEROalbum- 歌姫2』がヒット。14年ぶり紅白出場も果たした。新曲のヒットはないもののカバーに活路を見出し、以後は、大人の歌手として再評価されていった。パチンコ台『CR中森明菜・歌姫伝説』もヒット。2年後のデビュー30周年に向けて、完全復活の兆しが見え始めていた。そんな矢先に活動休止が発表されたのだった……。ファンが期待した30周年ライブなどが行なわれることはなかった。

 その後、2015年に『紅白歌合戦』の特別出演を経て活動を再開するが、メディアへの露出はほとんどなく、活動はアルバムリリースやディナーショーの開催のみにとどまっている。

 中森明菜の半生は、聖子とはあまりに対照的で、百恵のそれとも大きく異なっている。ただ、ひとつだけ言えるのは、彼女には歌がある。そして、多くの人に愛されている数々のヒット曲があるということだ。

 音楽業界をめぐる環境は、そのアイドル時代とは大きく変わってしまったが、中森明菜の歌をディナーショーでしか聴けない状況はいささか寂しいものである。

 歌姫が新たなヒット曲を引っさげて本格的に我々の前に現れることを期待したい。

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