武田久美子“貝殻ビキニ”以前の知られざる過去の画像
※画像は武田久美子の1stシングル『噂になってもいい/北風よ』より

80年代アイドル美女黄金白書

第6回・武田久美子

 1982年、ジャニーズ事務所所属のスーパーアイドル・たのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)により、人気漫画『ハイティーン・ブギ』(作:牧野和子)が映画化。主人公・藤丸翔をマッチこと近藤真彦(18)が演じることが発表された。それを受けて、マッチファンは“相手役・宮下桃子を誰が演じるのか?”という点を気にせずにはいられなかった。

 そして、桃子役に選ばれたのが、当時中学2年生の武田久美子(14)だった。

 “中学生がマッチとキスをする!”

 この時代はジャニーズのアイドルの数が少なく、その分、クラスのなかでのマッチのファン率は極めて高かった。キャスティングが発表されると、全国の中学、高校は蜂の巣を突っついたような大騒ぎになった。

 そして、これを「演技だから」「映画のなかでのことだから」と消化できなかったマッチファンは少なくなかった。

 少女たちの矛先は武田に向かった。教室で「武田久美子なんかブスだ!」、「ムカつく!」と騒ぐだけならよかった。ごく一部のファンは暴徒と化し、直接的行動に出たのだ。

 カミソリ入り封筒の送付、イベント会場で罵声を浴びせる、脅迫電話をかけるといった具合に、悪質な嫌がらせが後を断たなかったのである。

「相当ひどい仕打ちにあったようです。これは、本人に精神的ダメージを与えたばかりではなく、彼女のその後の芸能活動にも影響を与えたと思われます」(芸能関係者)

 ところが本人は、少なくとも表向きはケロっとしていた。中学生には見えない大人びたルックスが、その印象をより強くした。

 翌83年、彼女は清純派アイドルとして歌手デビューを果たした。

 だが、爆発的人気を得るには至らなかった。『噂になってもいい』『シャワーホリデー』『びんかん…してます』……。リリースしたシングルのタイトルを挙げてもピンと来る人は少ないだろう。

 松本伊代、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優、中森明菜と前年に多くの新人アイドルがブレイクしたため市場は飽和状態。タイミングとしては最悪だった。また、歌唱力にもいささか難があった。さらに、バッシングの余波もあり、特に学校では彼女のファンだとは言いづらい空気もあり、それが人気の足を引っ張ったと見ることもできる。

 しかし、武田久美子はそこで終わらなかった。

 清純派アイドルとしてブレイクできなかった彼女は、歌手活動を休止。女優業をメインとしながらも、写真集で起死回生の勝負をかけた。高校に進学した84年に大胆な水着写真集を発表。これが評判となる。

「豊満なバストに釘づけになりました。あの少女が、こんなに発育しているなんて……。オトコたちの彼女を見る目が一気に変わりましたね」(出版関係者)

 以後数年の間に、新作を出すごとに露出度、実用度をアップ。87年の『JUST A GIRL』(ワニブックス)では遂にセミヌードを披露した。

 普通のグラビアアイドルなら、ここで出し惜しみして踏みとどまるものだ。ところが、彼女はいい意味で予想を裏切ってくれた。

 二十歳になった89年に発刊された写真集『My Dear Stephanie』(ワニブックス)は、強烈なインパクトを残し、ベストセラーとなった。

「カバーに掲載された、帆立貝の貝殻で作ったビキニの写真だけでインパクトは絶大。そして、ページをめくるとバストトップを惜しげもなく披露していた。あれは、宮沢りえの写真集『Santa Fe』(朝日出版社)と並ぶ、アイドル写真集史に残る大傑作だといえます」

 一方、女優としても今ひとつパッとしなかった武田だが、1つだけ特筆に値するテレビドラマに出演している。89年の『青春オーロラ・スピン スワンの涙』(フジテレビ系)である。

 シンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)をモチーフにしたこのドラマの主演は宮沢りえ。つまり、貝殻ビキニの武田久美子とヘアヌードの宮沢りえが、毎週のように水着姿で登場する夢のような番組だったのだ(放送は『My Dear Stephanie』発売直前)。ただし、残念ながら、この作品はDVD化されていない……。

 その後、99年にアメリカ人男性と結婚。40歳を過ぎてからは、美しさが衰えないことが注目され、美容の本を定期的に出すようになった。

 おそらく、その読者は映画『ハイティーン・ブギ』を観ていた世代なのだろう。

*年齢は映画公開時点

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