文筆家・乗田綾子が綴る「tipToe. 『僕たちは息をする』を聴いて」

 思えばいつから、私は奇跡を信じなくなってしまったのだろうと思う。

 思い当たる一番古い記憶は、中学2年生のときだ。

 友達をうまく作れないまま情けで輪に入れてもらってる自分が嫌になって、そのうち自分からグループの輪を離れて、ただ毎日下を向いてお弁当を食べていた。

 そんなどこにでもいる過去の私の記憶である。

 学校でうまく生きられなかったあの頃、唯一の楽しみといえば、家の物置きに転がっていた小さな携帯ラジオだった。

 日付が変わる直前の真っ暗な部屋で小さな電源ランプを灯し、イヤホンからまったく違う世界の音楽が流れ込んだとき、私はほんの少しだけ明日の幸福を信じる気力を取り戻して、やっと眠りにつく。

 そして翌朝、学校に行き、涙を我慢してイスに座り、今日こそ突然クラス替えが起きますようにと心の中で必死に神様に祈るのだ。

 しかし信じるものは救われることもなく、残酷なほど変わらずに日常は、いつも幼い私のすぐ横を通り過ぎていった。

 tipToe.の『僕たちは息をする』が気になったのは、この歌詞を書いた人はきっと、青春に奇跡なんてないと、もうとっくに気づいてしまっているんじゃないかということだった。

 しかしその作詞者こそ、ステージでこの曲を歌う当のアイドル自身である。

「みんなで青春しませんか」というコンセプトを掲げ活動する、たった3年しか在籍できない女性アイドルグループ・tipToe.の、一人のメンバーなのである。

 彼女はチャイムの音がまぎれたバックトラックを渡されて、直後にこんな文章を綴ったのだという。

“僕たちは息をする 高架橋下を駆け抜けて それでも 僕のこと何もかも わからないままで終わればいい“

 きっとかつての私も、誰かにわかってほしいんじゃなかった。

 ただ眩しい永遠の共有でも、掻きむしりたくなるような胸の痛みでもなく、そこにあるデコボコの自分を、ありのまま、そっと肯定されたかった。

 違う時代の、でも同じ午前3時の灯りを知る彼女は、これから限られた青い春の中に、何を見つけて大人になっていくのだろうか。

 純粋にもっと彼女の書く言葉に触れてみたい。

 そして願わくば、それは誰かのコールにかき消されることなく、タイムラインの消費物として流されるものでもなく、今もどこかにいる私と、そして何より彼女自身への明日に還っていくもので、あってほしい。

(文=乗田綾子)

のりたあやこ。1983年生まれ、北海道在住。アイドルと文章書くことと音楽が好き。現在、月刊エンタメ、cakes、週刊女性PRIME等で連載中。主な著作に『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社刊)。

日記と詩 三十五度九分の日々

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