村田兆治
村田兆治

「伝説のエース」が戦ってきた強打者、名投手、そしてケガ。そこには、真っすぐすぎる男の生き様があった!!

――昨年、大谷翔平(24)も受けたトミー・ジョン手術。この、断裂した靱帯を再建する手術によって、今や多くの日本人投手が選手生命を延ばしている。そして、村田兆治氏(69)は、その先駆けとも言える存在だ。1982年5月17日の対近鉄戦、ボールを投げた村田氏の右肘に、激しい痛みが走った。

〈村田〉 最初は肘の痛みの原因が分からなくて、全国の病院を回ったし、鍼や電気治療、温泉、整体、マッサージと、とにかく肘にいいと聞いたら、あらゆることをやった。もう野球は無理だと思い、人に会いたくなくなったこともあったよ。和歌山の人里離れた奥地で滝に打たれたのは、そんな時期。自分のエースとしてのプライドを捨て、もう一度ゼロから再出発する境地に立つには、それくらいの荒療治が必要だったんだ。

 その後、肘の靭帯を損傷していることが分かって、ロサンゼルスのフランク・ジョーブ博士のもとでトミー・ジョン手術を受けた。それが83年の8月。もう一度、野球ができる可能性があるなら、なんでもやる覚悟だった。

 最近では桑田真澄松坂大輔藤川球児ダルビッシュ有、大谷翔平ら、たくさんの投手が当たり前のようにトミー・ジョン手術を受けている。でも当時は、肘にメスを入れたら投手生命は終わり、というのが定説だった時代。俺は、球団と「手術が失敗したら、潔く引退します」という約束を交わさなければならなかった。

 手術を受ける前、ジョーブ博士に一つ確認したことがあるんだよ。「先生は手術に失敗したことはないんですか」って。そしたら、博士は「ある」と答えた。その言葉を聞いて、「この人は信頼できる」と確信したんだよな。幸い、手術は成功。ただ、今度は厳しいリハビリが待っていた。暗闇を一歩一歩這って進んでいるような感じだったけど、再びマウンドに上がるまでは弱音を吐くつもりはなかった。どんな壁を前にしても、絶対に逃げない。それが俺の生き方だから。

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