■「サンデー兆治」の復活劇は当時の社会現象に

――手術から2年近く。85年4月14日、村田氏は西武戦に先発し、155球の完投勝利。以降、毎週日曜日に登板し、開幕から11連勝。「サンデー兆治」と呼ばれ、その復活劇は当時の社会現象にもなった。

〈村田〉 ジョーブ博士からは「1試合100球まで」と言われていたんだけどね(笑)。手術後の初先発となった試合では、100球を超えると稲尾和久監督がマウンドにやって来て、こう言われたんだ。「兆治、おまえの何がなんでも勝ちたいという気持ちは分かる。しかし、もういいだろう。十分、投げたよ」

 でも、こっちは完投するつもりだったからね。「監督、この試合を俺にください」と言って、監督からボールを奪い取った。その結果が155球の完投勝利。投げ終えた瞬間、これで、やっと復活を確信することができたんだ。

 それからは1週間に1度、日曜日の先発が指定席になった。中6日は以前の俺からすれば、ずいぶん登板間隔が空いている。でも、当時の自分にはそれが精いっぱい。肘を手術してから7年間で59勝しているけど、手術する前の156の勝ち星より重みを感じるよ。

 俺は、40歳で迎えた1990年のシーズンを最後に、現役を引退した。この年は10勝8敗だったし、まだ、できるんじゃないかと言ってくれる人もいたけど、もう完投する力がなくなりつつあったんだ。事実、この年の完投は4試合だけ。俺はエースなら「先発完投」が当たり前だと思っている。同じ1勝でも、6回しか投げていないのと、9回を投げ切ったのでは価値が違う。だから、もう引き際だと判断したんだ。

 最後の登板は雨だった。5回を投げたところで、雨が激しくなってコールド勝ち。翌日の新聞には「神が舞い降りた」なんて書かれたけど、神様に助けてもらうようじゃ、おしまいだよな(笑)。

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