■監督として優勝7回の圧倒的な実績

 93年、長嶋氏が巨人の監督に復帰。13年越しで指揮官と選手の関係になった2人だったが、すでに原のピークは過ぎていた。「ミスター就任前の時点で、守備位置は三塁から外野、一塁と変えられ、4番を外される試合も多くなった。就任後の94年には、FAで落合博満が移籍。かつてはミスターの恋人だった原ですが、もうチームに居場所はなくなっていました」(元巨人担当記者)

 そして95年、原は長嶋監督に見守られながら、ユニフォームを脱いだ。「引退会見で、原は“私の夢には続きがある”という言葉を残しました。原の現役晩年はチャンスで代打を送られるなど、屈辱の連続だったはず。この悔しさが、監督として見返してやるという反骨心、そして勝負への執念を生んだのかもしれません」(前同)

 原の“夢の続き”は3年後に訪れる。98年、コーチとして巨人に復帰したのだ。「当時、読売グループの上層部は、ポスト長嶋の人材を探し始めていました。そこで白羽の矢が立ったのが原です。監督であるミスターの思惑は一切反映されていない人事でしたが、“俺の後継者は原しかいない”と、原コーチを快く迎え入れたといいます」(同)

 指導者の道を歩き始めた原は、貪欲に監督理論を学んでいったという。「当時の原さんは、本当にミスターによく質問していましたね。試合後は、監督室に2人でこもり、その日の采配を振り返っていた。ミスターは惜しむことなく、自らの知識を伝え、ときには戦国武将の作戦を例に出して、戦術を説明したそうです」(スポーツ紙記者)

 そして長嶋監督が勇退した01年、原新監督が誕生。師から受け継いだ帝王学をもとに、1年目で日本一という快挙を成し遂げると、その後、12年で優勝7回という圧倒的な実績を残した。「原監督は、長嶋野球の忠実な継承者。“若大将”の爽やかなイメージは今なお健在ですが、その勝利への非情さは、ミスターも一目置くほど。まさしく、挫折と苦悩、そしてミスターとの絆で作り上げられた“名将”ですね」(元担当記者)

 原監督が今後、巨人をどう導くのか、注目だ。

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