水谷豊
水谷豊

 今も輝きを失わない70年代の三大アイドル。当時を知る関係者が、今だから話せる秘話を大公開!

 今年、元キャンディーズ伊藤蘭(64)が、実に41年ぶりに歌手活動を再開。6月、都内で行われたコンサートは大盛況だった。また、引退後にキルトの創作活動を続けていた山口百恵(60)が、その作品集をこの7月に出版してベストセラーになった。「どちらも間違いなくトップアイドル。確実に売り上げが見込めますから、レコード会社、出版社にとって、魅力的な企画だったと思います」(芸能レポーターの城下尊之氏)

 この現象は、昭和のアイドルが令和の時代になっても根強い人気を保っていることの表れだろう。

 さて、今回の企画で欠かすことができないのが音楽プロデューサー・酒井政利氏の証言だ。なぜなら、レコード会社『CBSソニー』に所属していた同氏は、三大アイドルをすべて手がけているからだ。この敏腕プロデューサーが、最初に世に送り出したのは、“シンシア”こと南沙織(65)である。「70年代初め、辺見マリ、奥村チヨといったアダルト路線の歌手が売れていた。そこで我々は、それとは違う、まだ日本に存在しなかった“アイドル路線”の歌手を育てようということになったんです」(酒井氏)

 そして酒井氏は、“ナチュラルでキラキラした人”というイメージを想定し、アイドル第1号となる人材を探すことに。そんな頃、ある関係者から1枚の写真を見せられる。写っていたのは、沖縄のテレビ局で、アシスタントのアルバイトをしていた一人の少女だった。酒井氏は求めていた素材に出会ったと確信する。「さっそく東京に来てもらいましたが、羽田に着いたときの鮮烈な印象はよく覚えています。まるで彼女が主役の映画の1シーンのようで、周りの人がエキストラに見えたんです」(前同)

 少女は、それからわずか3か月後の71年6月に『17才』で歌手デビュー。瞬く間に若者の“アイドル”となり、以後、7回連続でNHK『紅白歌合戦』に出場することになる。

 だが、そんな彼女にも、思わぬ逆風が吹いたことがあった。「当時のマスコミはスキャンダルを捏造することが多かった。彼女もデビュー2年目に、マネージャーとの熱愛がでっち上げられたんです」(芸能記者)

 これに対して、酒井氏は粋な対応をした。「我々は、曲でアンサーを出すことにしたんです」

 新曲のタイトルは『純潔』。スキャンダルが事実無根であることを、曲名でアピールしたのだった。

■音楽プロデューサー酒井政利の秘策

 南の成功を受けて、各レコード会社は次々にアイドルを育成していく。CBSソニーが、次の人材として73年にデビューさせたのが山口百恵だ。「当初、“花の中3トリオ”の中で百恵さんは3番手でした。なにしろ、デビューのきっかけとなるオーディション番組『スター誕生!』でも、獲得を希望したプロダクション、レコード会社の数は、桜田淳子さんのほうが多かったんですから」(レコード会社関係者)

 3番手の百恵がトップに躍り出た背景には、酒井氏の秘策があった。「デビュー曲『としごろ』は、彼女の音域に合わせたフォーク系の曲でした。ですが、それではライバルに追いつけないということで、2曲目の『青い果実』で、路線変更したんです」

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