■菅野智之は甲子園常連校出身だが

 現役で大活躍中の選手の中にも、甲子園に出場できなかった選手がいる。東海大相模という甲子園の常連校出身でありながら、甲子園への出場経験がないのが菅野智之だ。

「軟式野球出身の菅野は入学当初、目立った選手ではありませんでした。頭角を現すのは2年生の秋、エースナンバー1をつけるようになってから。したがって、2年生の春に出場したセンバツではベンチ入りできず、甲子園の土を踏めていないんです」(専門誌記者)

 菅野が最も甲子園に近づいたのは、3年生の夏だ。「県大会の決勝まで進みましたが、10-8と勝ち越されて力尽きました。このとき、話題になったのが準決勝の横浜戦で、菅野が演じた振り逃げ3ラン。4回二死一、三塁で菅野がショートバウンドを空振りした際、捕手がタッチせずにベンチに戻ったのを見て、相模ベンチが走れ、と叫んで3点入っています。ただ、この幸運を甲子園につなげることはできませんでした」(前同)

 そんな菅野が6億5000万円(推定)とプロ野球界最高年俸選手になったのだから、野球は面白い。

 次に侍ジャパンの不動の4番に成長した鈴木誠也だ。二松学舎高校時代は、MAX148キロの直球を武器にエースとして活躍した。

「最後の夏の東東京大会では、決勝戦で成立高校に6-8で敗れて、甲子園出場を逃しました。しかし、高校通算43本塁打の非凡なバッティングセンスを買われ、広島からドラフト2位で指名を受けてプロ入り。16年の流行語大賞にも選ばれた“神ってる”活躍ぶりで、その名を日本中に轟かせました」(通信社記者)

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