■ソフトバンクの柳田悠岐も

 そして、トリプルスリーを記録するなどソフトバンクの中軸打者となった柳田悠岐も大器晩成型選手だ。「広島商業時代は、“もやし”のような体つきで、なかなかレギュラーが取れないくらいでした。3年夏の県大会でのベスト4が柳田の高校キャリアハイ。高校卒業後、広島経済大学に進学し、金本知憲中田翔らが通うジムで体重を増やし、遠投距離を10メートル伸ばすなど体を鍛えました。その結果、成績もついてくるようになったんです」(スポーツ紙記者)

 そして柳田は、広島六大学野球リーグでは並ぶもののいない存在となった。「ドラフトではソフトバンクが1位指名。首脳陣が秋山翔吾にするか、柳田悠岐にするかで悩んだ末、王貞治会長の“和製大砲が欲しい”という鶴の一声で決まったそうです」(前同)

 王会長の眼力は正しく、柳田は推定年俸5億7000万円と、野手最高の評価を受けるまでに成長した。

 常勝軍団・ソフトバンクにおいて、野球エリートを尻目に大躍進を遂げた苦労人が千賀滉大と甲斐拓也だ。「ともに10年入団で、育成4位と6位。ちなみに二塁手の牧原大成は同5位と、10年の育成トリオが連続日本一に貢献しているわけですから、ソフトバンクの育成は素晴らしいと言えますね」(専門誌記者)

 千賀は愛知県の公立無名校・蒲郡高校の出身。2年時の故障もあり、3年生の夏は3回戦で敗退。地元の中日はもちろん、ほとんどの球団がノーマークだった。「地元のスポーツ店の人が“えげつない変化球を投げる投手がいます”と、千賀をソフトバンクに売り込んだのがきっかけ。育成なら、3年置いてみるか、とダメ元で取ったものの、こんなに化けるなんて、今も信じられません」(事情通)

 甲斐も高校時代は無名の選手だった。最後の夏でも所属する楊志館高校は、1回戦で敗退するなどプロなど考えられない状態だった。「楊志館高校の宮地監督が、ソフトバンクのスカウトに甲斐のプレーを見てほしいと頼み込んだんです。そこで“育成ならば”と、半ば強引にねじ込んだ経緯があるんだ。日本シリーズでの活躍で、その強肩に“甲斐キャノン”というニックネームがつき、シリーズMVPにも選ばれるほどの選手に成長しました」(前同)

 憧れの舞台が突然なくなってしまった今年。だが、甲子園の土は踏めなくとも、プロの世界で大成した先輩たちは多くいる。頑張れ、高校球児たち!

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